ブッダは、長期間にわたる断食など、それまでインドで行われていた肉体を痛めつけるような苦行を否定し、人として正しい心のあり方を示されました。
ご自身が、長い断食と瞑想を続けた結果、やがて意識を失って倒れ、死にかけたところをスジャータという村の娘に助けられて食を摂り、そこでついに悟られたのです。
難行苦行では、決して苦しみからは解放されない、己の心を正しく修めることこそが、苦しみのカルマを解消するための唯一の道である、と。
私自身、どのような辛さがあるものかを知りたくて、若い頃に水行を一度か二度体験したことがあります。
ですが、そのような苦行は一時的なやせ我慢に過ぎず、それで心が変わることは決してありません。
大事なのは、自らの心の汚れ、誤った行いに気づいて、改めることです。
かつて、このことに気づかず、難行によって悟れると吹聴して多くの若者たちを欺き、世間を騒がせた事件もありました。
超能力を自慢したり、霊能を開発することを目的とした団体は今もあるようですが、宗教の本来の目的は、心を修めることではないかと私は思っています。
いくら超能力や霊能があっても、心が未熟で、愚かなままでは何にもなりません。
いくら人が驚くような現象を見せても、喉元過ぎれば何とかで、心の成長に役立つことはあり得ない。
むしろ、自分のことを他人より偉く見せようとしているだけで、それによって他人を惑わすことになり、それは宗教家としてあるまじき行為ではないかと思います。
中には、高額な費用を要求されて、「『あなたの守護霊の格を上げてあげます』と言われたのですが、本当にそんなことができるのでしょうか?」と聞いてくる方が多いのには驚かされます。
「守護霊の格をワンランク上げてやる」と言う言葉は、霊能者自身が「神」を名のっているのであり、まさに、その人物その者が人間と神との違いさえ理解できていない証拠です。
決して人間が勝手に格上げできるようなものではありません。それを、恥ずかしいとも思わずに口に出す、そのような霊能者自身、格を上げることはもちろんできませんし、人々に対して正しい指導もできていないのです。
自分自身の心、魂を磨くことが本当の修行であり、それこそが自分の幸せづくりの第一歩となるのです。
宗教家として生きる人々は、自らの心を直さずして、いったい何を目指しているのでしょうか?
見えない世界だけに、心がともなわない修行は、危険をともないます。
なぜなら、愚かな心で修行することは、愚かな低レベルの動物霊が宿る恐れがあり、やがてそれらが群れをなし、巣くってしまうがために、さまざまな現象が出てきます。
それゆえ、低級霊に支配され、魔のものを拝んでいる自分に気づかずにいることになり、それは大変おぞましい結果をもたらすことになるのです。
己の欠点、不足を直すことによって、悪しきカルマ=スピリットの汚れを取り除くことが大事で、私は、それこそが人として誰もが実践しなくてはいけない心の修行だと思っています。
この世における地位や名誉、財産のあるなし、またいかなる職業や立場にかかわらず、人として、心(魂)を磨いて、成長させるのが、現世の修行であり、カルマの壁を越えていく唯一の道である、と。
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