「なぜ連鎖に気づきにくいか?」というと、ほとんどの人が自分の生まれ育った環境で得た知識、すなわち、長い間慣れ親しんできた家庭内の習慣や文化を「常識」だと思って、疑うことなく生きているからです。
ところが、自分のにとっては「常識」でも、他人にとっては「非常識」なことが多々あります。
連鎖から抜け出すには、まずその違いを知ることです。そのために、幅広い知識を得て、我を張らずに、知らないことは素直に人に聞き、人の動き、考え方などもよく見て覚え、学んでいくことです。
そのように、いろんな人たちとの交流をはかることで本当の意味での常識について学びながら、人としての良識を身につけることによって、そこで初めて連鎖にも気づけるようになるのです。
とりわけ、私たちは同じような文化を持つ人たち同士のつきあいの中、その狭い世間の中では一見うまく渡り合っているようにも見えます。
しかし、いったんお互いの考え方や主張がぶつかったり相手から無視されると、双方共に寛容な心が養われていないため、相手のことを批難したり、攻撃するような危うさをはらんでいるのです。
また、悪い連鎖の場合、同じような考えやタイプの人たちと交流することにより、物事の判断基準が同じなので、どうしても気づきにくくなります。
ですから、連鎖に気づくには、自分が「常識」だと思っていることは、もしかした「非常識かもしれない」、あるいは「まだまだ知らない常識、知識がたくさんあるはずで、それは何か?」と考えることも大事で、絶えず疑問と学びをくり返す__そうしているうちに、自分の欠点に気づくはずです。
とは言うものの、自分が正しい、良かれと思っていることを疑うのは至難の技です。
なぜなら、人間は過去の習慣に従っているほうが楽だからで、よほどのことがないとその習慣を変えることができないからです。
よほどのこととは、「心底困った」「もう懲り懲り」「ここで何とかしなければ……」という切羽詰まった気持ちが起きるような出来事です。
「何か問題が起きた時には誰でもそう思うのでは?」と思われるかもしれませんが、本人が困った状態に陥った原点に気づいていなければ、「何とかしなければ……」とも思わないでしょうし、また同じような「気づけないがゆえの失敗」を招いて、何の学びにもならないばかりか、さらなる不幸を招いてしまいます。
対人関係がぎくしゃくしたり、困難な状況に陥った時に、「その原点で起きたことを理解しなければ……」と自分の頭で考えなければ、今まで通りの習慣に流されるだけで、そこには反省も改善もないからです。
これが気づきにくい連鎖の落とし穴です。
言い換えれば、自分の中に潜んでいる連鎖に気づくには、対人関係がぎくしゃくした時や、物事がうまく進まない時などに、自分の考え方や言動のクセ、習慣的な行動のパターンについて、いかに第三者の目で客観的に見られるかどうかにかかっている、ということになります。
ということは、
「自分の考え方や思い込み、言動には何か問題があるから、人間関係や物事がうまくいかないのかもしれない」
「自分が気づいていない思い込み、欠点や短所は何だろうか?」
「他の人から見て自分に足りない点はどうしたら補えるのだろうか?」
などと冷静になって考えてみる。そうすれば、幅広い知識を得て、少しでも自分の欠点、不足を改善していこうと思えるようになるでしょう。
それには、まず、自分の見栄やプライドがどの程度かを知ることが大切です。
自分が常識と思っていたことを疑ったり、自分の不足について客観的に見ようとしても、見栄やプライドがあるとそれがじゃまをして、冷静に見つめられないからです。
見栄やプライドは、我の強さとなって、連鎖の壁をより強固にします。
ですから、いらぬ見栄やプライドは捨てて、
「もしかしたら自分が当たり前、正しいと思っていたことが間違っていたのかもしれない」
「もっと相手の言い分や意見に素直に耳を傾けてみよう」
「いろんな知識を得たり、人と接する中で、自分が知らないことをもっと知って、人と上手に交流していこう」
そのように思えれば、それまで気づかなかった連鎖の壁がうっすらと見えてくると思います。
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