私たちは誰もが知識不足ゆえに苦しんでいます。
事業の失敗、夫婦げんか、子育ての失敗、嫁姑問題、借金、恨み辛み……等々、そのような人生の失敗、つまづき、トラブルに見舞われるのは、その原点に本人の知識の不足があるから。拝殿の前で相談者の方々と向き合う中で、私はつくづくそれを思い知らされました。
私の言う知識とは、人間が地球で生きていくうえで何百億あるかわからないほどの、ありとあらゆる分野の知識のことであって、ここでは、とりわけ人が人と接しながら成長していくうえで欠かせない常識や良識、知恵を含む “知識” です。
そのような幅広い知識があってこそ、正しい判断力や理解力が身について、人と上手に交わることもでき、また時に腹立たしいことがあっても、寛大な心で気持ちも落ち着けるし、相手を許せるのです。
ですから、社会的地位などにかかわらず、どんな人にとっても何歳になっても知識は必要なわけですが、同じ失敗をくり返したり、人と衝突したり、トラブルに見舞われるのは、取りも直さず何かしら自分に知識が不足していた結果。これを言い換えれば、ほとんどの人が、何か問題やトラブルが起きるまで、「私は間違っていない」と確信し、行動しているのです。
しかし、そこで自分の欠点に気づいて改めない限り、人との交流はうまくできないままで、それだけ幸せが遠のくばかりか、人としての成長も望めません。
そうなると、カルマの解消もできず、結果的に同じカルマを来世に持ち越してしまうことになりかねないのです。
カルマとは、前世から引き継いできた本人のすべての言動、行いです。
反対に、知識を増やしていろんなことから学んでいれば、自分が「井の中の蛙であった」ことや、「知恵が足らず、判断が誤っていた」ことに気づけて反省もでき、人とも上手に交流ができるようになって、確実に幸せへと近づいていけるのです。
かくいう私も、毎日、神と接していても、尋常でない、節度のない行動をする人との出会いの中で、時に煮えくりかえるほど腹が立つことや叫びたくなるほどの無念さを味わうこともあり、溢れそうになる涙を必死でこらえた日も数知れません。
しかしながら、そのような私でも、知識と気づきのおかげでなんとか穏やかに感情を納め、許せる自分に成長したと思います。
そして、その並々ならぬ嘘で私を苦しめた人たちとの出会いがあり、その苦しみゆえ今の心ができたことに感謝ができるようになりました。
これまでのさまざまな経験を乗り越え、本の出版やブログを通じて、人々に教えられる私がいる。相談者の苦しみを神との関わりによって助け、さらなる自分の苦しみも得、それでも私に不足がある場合、まさに神に叱咤されるが如く、「これでもか、これでもか」と一つ、また一つと高くて困難な山を登り、そして下まで降りる。
それをくり返してきた経験が、さらなる私の心磨きの実践につながり、「気づき」の大切さを伝えることができるようになった……今は苦しみもなく、むしろその人たちに感謝し、自分の心の誇りを見ることができます。
何億、何兆、計り知れない知識の中で、たとえ微々たるものであっても自分が知らなかった世界の知識、透視力とは別の知識を得、学ぶことができたことは本当に幸せです。
その意味で、「知識や学び」は「気づき」と同じ幸せの条件であり、人と上手に交流していくための車の車輪のようなものと言えるでしょう。
知識が増えれば増えるほど、、常識がわきまえられるようになるほど、気づきにくい自分の欠点、短所にも気づきやすくなり、また相手に対する理解も深まって、適切な接し方によって人との衝突を避けたり、不要なトラブルに見舞われることもなくなるからです。
人との対立、争いが絶えない人に、幸せが訪れることはないでしょう。
人と和し、人と助け合いながら上手に接することができてこそ、自分も相手も幸福感が得られるのです。
そのように、さまざまな出来事や身近な人との交流を通して己の欠点に気づいて改めていくこと。
そして、いらぬ見栄やプライドより、より多くの知識を得る努力を続けること。それが人としての心の成長となります。
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