私たちの親子関係が始まるときにも、カルマは強く関わっています。
人は生まれるときに、自分が背負っているカルマと関わりのあるカルマを持っている両親を選んでいます。
新たに生まれたときは当然、前世の記憶はありません。
しかし、過去世(生まれる前)の記憶がなくなっていたとしても、“過去世において自分がした行為” は、誰であろうと “なかったこと” にはできませんし、変えようもありません。
カルマという歯車は、あなたが生まれ、この世を去り、そしてまた生まれるという輪廻の中でずっと止まることなく動いているのです。
私たちはカルマのつながりによって親を選んでいます。
人間は育っていく過程で友人や上司、恋人や結婚相手などさまざま人間関係を構築していきますが、どんな人間でも生まれてからいちばん最初にある人間関係は「親子」であり、それを育んでいくのが「家」です。
「家」の中というのは、ある部分では他者に見せられない、見せることのない非常にプライベートな空間です。
子どもの考えや性格、知識の土台が作られるのは「家」の中です。
外で感受性豊かに学んでいたとしても、食事や睡眠といった人として欠かせない行為や、道徳的な教育は家で行っている場合が多いでしょうから、その影響は大きいのです。
家の中で行われることは基本的には他人に見られないため、第三者からの指摘が入ることが少なくなります。
たとえば大人になって恋人と一緒に住むことになって、初めて自分が普通だと思ってやっていたことが “一般的” ではない、もしくは “間違っている” と気づいたというのはよくある話でしょう。
家の中にいない他者と近く交わって、初めて自分の考え方の異質さに気づくことがあるのです。
このように、家は間違った知識がさも正しいかのように受け継がれてしまいやすい閉じられた場所です。
本来的には、家族という大切な存在と共に暮らし、いちばんの安らぎを与えてくれるかけがえのない空間ではありますが、それゆえに外部から見たら特殊な空間になっている場合があり、間違ったことが親から子へ、子から孫へと、知らず知らずのうちに代々受け継がれていってしまう場所でもあるのです。
こうした負の連載は引き継いで行ってはならない、断ち切るべきものなのですが、私たち人間は、長い年月をかけて家の中で作られてきた「個々の家の文化」の中で生きてきて、ほかの家の「文化」を知らないで育つわけですから、なかなか家の中で連鎖する異質なものに気づくことができないのも事実です。
しかし、そのように家の中で代々、「負の連鎖が起きているんだ」という知識があれば、自分の知識や習慣、考え方に時おり意識を向けて、立ち止まって考えてみることができます。
そうすれば、
「これはおかしいんじゃないか」
「もしかしたら間違っているんじゃないか」
といったような疑問が出てくるものなのです。
日常を過ごす中では、なかなか家のことに意識を向けることはないと思いますが、負の連鎖は、長年、慣れ親しんだ環境の中で培われ、伝えられてきた “本当の自分が出やすい空間である家” にこそ潜んでいます。
そのため、自分の言動や行動をきちんと律していないと、ほかの人たちと違う行動、つまり自己中心的な行いをしてしまいやすいのです。
負の連鎖を断ち切ることができない自己中心的な行いのひとつは、自分が得た知識が間違っているかを検証もせず、考えもせず信用し、盲目してしまうことです。
「親」から “教えられたこと” を、「子」はしばしば “絶対的なこと” と思いがちです。そこで「子」が絶対的だと思った知識が、間違ったものだとしたら大変なことです。
親が、
「それでいいでしょう」
と思っていたことが、そこの家の中だけで通じる “いいでしょう” で、社会では通用しないこともあり、親がその区別に気づいて、子どもに教えていかなければ連鎖は断ち切れません。
“子どもは親を信じている” からこそ起きることですから、親が子どもに “何を伝えていくか” を分別してよく考えなければいけないのです。
また、連鎖を断ち切るにはもうひとつ方法があります。
もし、親が “気づけない親” であったなら、子ども自身が「ほかの人との違い」に自ら気づくことです。
教えられない親が悪いのではなく、“教えられない親を選んで子どもとなる”
カルマと連鎖は、時に協力し合うと言っても過言ではありません。
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