不登校、ひきこもり、そして不満があるとすぐに会社を辞めたり、簡単に離婚する、そのような若者や大人達が珍しくない状況です。
こうした用件で、私のもとを訪れる相談者の何と多いことか……。
昔は「地震・雷・火事・親父」といわれ、恐い存在がいたことで心を律したものですが、今は心を律してくれるものが何もありません。
だから、「恐い人知らず、目上の人への態度知らず」になってしまうのです。
例えば、親子の会話一つを挙げても、「……で、いいじゃん」と話しかけてくる我が子に対して、同じ口調で「……だから、いいじゃん」と返すお母さん。拝殿にいる私に話すときも、親子で「……じゃん。……じゃん!」との言葉遣い。それを注意するよりも、子どもと一緒に使って平然としている母親の品格を疑ってしまいます。
場所や相手(初対面)に対してもまったく節度をわきまえない……これもまた、知識不足の一つではないでしょうか。
心の知識不足について、もう少し詳しくお話させていただきますと、例えば、受験でも就職でも、あるいは結婚でも病気でも、自分が叶えたい願望があるときには、ご先祖や神仏に必死に頭を下げてお祈りをしている人達……。
これは、まさに知識不足ゆえの矛盾した考えです。
なぜなら、亡くなったご先祖(仏様)といえども、もとは血縁であった人達で生前は私達と同じ人間だったのです。
自分の現存する親に対しては尊敬することができず、反発をしているのに、亡くなったご先祖には頭を下げてお願いことをするというのは、カルマの法則を知らない知識不足そのもの。
もし、あなたが生前、家族からぞんざいな扱いを受けていて、自分が死んだとたんに子どもや孫から手を合わせて「助けてほしい」と祈られたらどんな気がするでしょうか?
「何か勘違いしているのでは? あのぞんざいな扱いは忘れたの?」と思うのが普通でしょう。
カルマの縁があるからこそ、血縁関係になる。親子、兄弟姉妹、夫婦、嫁姑、親類縁者は、前世から持ち越した共通のカルマがあり、その関係、交流の中で、それぞれが心の垢を洗い落とすための修行仲間なのです。
つまり、ご先祖や家族は、「修行のために接触する必要があった仲間」なのです。たとえ、憎しみあったり、腹の立つ相手であっても……。
そして、スピリット(魂)の浄化につとめ、一人ひとりの魂の清らかさの度合いに応じて、次にまた自分のカルマの解消に合う別の家族のもとに生まれ変わり、さらなる心の修行を繰り返す。
これから家族や子孫を持つ人も、同じようなカルマを共有するスピリットと出会うことになり、やがてあなた自身もその家族(スピリット仲間)のご先祖になっていく。
また、肉体がなくなったからといってすぐに特殊な能力が身につくわけではないので、死後、ご先祖の誰もが子孫の望みをすべて何でも叶えてあげられる「仏様」になるわけではありません。
多少のことを守れるか、多大なことを守れるかはそのご先祖のスピリット次第であり、同時に子孫の一人ひとりが心の浄化につとめることが、ご先祖のスピリットの向上を促すことにつながるのです。
だから、ご先祖の平安を願うのであれば、あなた自身が心の洗浄に励むことが一番大切。ご先祖がこの世で生存中、直せなかった部分をあなたが直すことにより、それが先祖供養となるのです。
つまり、先祖供養とは、私達のスピリットの向上なのです。それによってご先祖がワンランク上に行けるのです。それは、スピリット向上のための援助役として守ってくださる守護神・守護霊との関係においても同じで、本人が心の洗浄を怠り、心が汚れると守護神・守護霊との関わりも変わってしまいます。
要するに、ご先祖といえども生前は欠点があるがゆえに、この世に修行するために生まれてきた似たようなカルマを持っていた仲間であり、守護神・守護霊といえども何か共有するものがあり、あくまで本人の心次第で関係が変わっていくということです。
これは、職場や仕事仲間でも同様です。
共有する共通のカルマがあるがゆえに同じ職場、同じ仕事を通して、接触しあい、憎みあったり、悲しんだり、恨んだりしながら魂を磨きあう。善いカルマは助けられたり、恩返しをするなど、相性が善かれ悪しかれ、互いに心の修行に励む同志のようなものです。
それが一時的なものであれ、継続的なものであれ、この世においてともにその場、その場の事情の中で心を磨きあい、成長しあえるかどうかなのです。
スピリットの浄化レベルによってさまざまな同志関係、グループに分かれますが、いずれにせよ、お互いにすぐに気づいて和合するのは現実問題としては大変困難なことです。
とはいえ、片方だけでも「気づく心」が備われば、ゆっくり、ゆっくりと氷河の氷がとけるように、カルマは解消されるものです。
例えば、憎しみ合う仲間がいたとします。
そこで、憎い、恨みのある相手だからと憎むのではなく、原点に立ち返って、何があったかよく理解して、すなわち知識を得て判断することができれば相手のことも理解でき、自らが気づくことで憎しみを超えて相手を許せるようになります。
たとえ、片方だけでも気づいて許せば、その本人のカルマの解消となるのです。
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