神や、守護神・守護霊は、どんな人であってもその人の幸福を願っています。
ということは、どんなカルマがあろうとも、神に愛される生き方を望む、すなわち、自分の欠点に気づいて直すならば、自分の心次第で幸せを手に入れることができるのです。
そのように、その人の幸・不幸は、自分の心が決めています。
人生は、自分のとらえ方次第で不幸にも幸福にもなれるのです。
あなたは、今、心が満たされた幸せな人生を歩んでいますか?
あなたが心から幸せを願うのなら、心の垢を少しでもきれいにして浄化することです。
その清らかな心こそが、神の心、神仏の願いと響きあうのです。
そのためには、「知識や常識を通して自分の不足を知り、対話を通して相手を理解すること」が基本となります。
それとは反対の汚れた心は、自分の不足を知らず、相手を見下し、人と上手に交わることができない見栄や我欲の心です。親も尊敬できず、夫や妻、周囲の人達に対して理解も感謝もできない。それでいながら、見えない神仏にはせっせと手を合わせて祈りを捧げる愚かさ……。
私は、「生きているご先祖(親)を大切にしなさい」とよくいいます。
いくら神仏に手を合わせ、供物を備えても、「生きているご先祖(親)」を粗末にしていては、神に愛される心とは無縁であり、「生きているご先祖(親)」とその神仏が同じ立場と考えたなら、神仏に裏表の汚れた心を見られていることを認識しなければいけません。
その意味において、能力や学歴、お金のあるなしにいっさい関わりなく、己の汚れた心に気づいて改めない限り、本当の幸せは得られません。
まして、善だけでなく、大小さまざまな悪がはびこるこの世にあって、神仏が守りたくても本人の心の不足があれば守ることができないのです。ですから、まず自分の家の神仏に認めて貰えるような心にならなければ、いくら神社めぐりをしても思うようにならないこともあるのです。
ただし、心を磨くといっても、いつまでも過去の出来事を後悔したり、ただやみくもに未来の理想を追い求めることではありません。
最も大切なのは、今、現在の心のあり方で、人との関わりにおいても自分自身の心のあり様を見失わないことが何よりも大切なのです。
過去も未来も、今のあなたの心がどうあるかによって変わります。過去の失敗から学んで、日々の生活の中で、今、気づくべきこと、改めるべきことを行えば、必ず未来に光が射してきます。
ですから、自分の前世はどうだったか、などと過去(世)にとらわれる必要もありません。大事なのはこの現世。現世の修行に励むことが過去を清算することになるのです。
以前、私は、現世に過去と未来が一緒に存在すという不思議な感覚に包まれたことがありました。過去・現在・未来が同じ空間に重なるようにして一緒にあるような感覚です。
もしそうだとしたら、過去も未来も含んだ今、この現世における心の修行、すなわち、カルマの解消こそが私達に与えられた使命でもあります。
うまくいかないとき、「苦しい」「困った」と思うような一見不幸な出来事と思えることに出会ったときこそ、それが未来において幸せを得るためのきっかけ、幸せへの扉である、のです。
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