青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

善と悪

どんなに立派に見える人であっても、この世に生まれてきたということは、どこかに心の不足(欠点)があるからこそ。

 

無知や我欲、人の道に外れた悪行と呼ばれるさまざまな行いも、そこから生じています。

 

しかし、それでも、神は、たとえどのような人であっても気づいてほしい、幸せになってほしいと心の成長を願い、見守っています。

 

人の世は、善・悪があってこその修行だから。悟りを開いた人ばかりでは修行にはならないからです。

 

この世から悪がなくならないのは、人は悪を見て善の大切さを知るからです。

 

そのために、神の世界から堕ちた魔のもの、低級霊が、人間の心の悪に潜んで動くのです。この世に天国と地獄の様相が現れているのはそのためです。

 

しかし、だからといって、うまくいかないことを低級霊のせいにしたり、悪が反乱していいというわけでは決してありません。

 

霊障とカルマとは違います。

 

魔を呼び寄せているのは、あくまで自分の汚れた心。

 

カルマは持って生まれたスピリットの業、したがって、心の悪を退け、少しでも善の行いを積み重ねていくことが大事で、それが死後、スピリットの霊界ロードの行く末を決めるのです。

 

かくいう私自身も、この世でこの仕事をすることが、意識するか否かは別として、与えられた一つの修行なのです。

 

私の母も神に仕える仕事をしていましたが、昔のことなので、たびたび足をひっぱられるようなことも多かったのです。娘の私がいうのもなんですが、明治生まれの母は本当に生真面目で、まっすぐに生きた人でした。

 

それでも、今以上に「見えない世界」の知識が乏しい時代だったので、母が神から与えられた透視や祈祷(ご利益)が奇異な目で見られていて、俗にいう「物乞い」がする仕事だと見なす人もありました。

 

また、「悪霊を付けてよこす」とか「木村の神様がお腹を空かしているから、物乞いのためにさわった子どもが盲腸になった」などなど……私がこの仕事をするようになってからは、母の時代のことを直接に耳にすることも多く、大変な時代を母は生きてきたと思います。

 

「木村家で何か怪しげなことをしている」といった投げ手紙が警察に届けられたことが何度かあり、そのために呼ばれて警察に出向き、「同業者に妬まれるほど当たるのだから、がんばりなさい」と励まされたこともあったそうです。

 

でも、母はそのような人達を恨むことなく、黙々と任務をまっとうしていました。

 

私の代になってから、人々が新たな知識を得て、そのような偏見は薄らいできています。

 

とはいうものの、透視能力についていまだに間違ってとらえている方もいるので、ここで少し説明をさせていただきます。

 

人によって「当たる」「当たらない」ということもあります。それは、カルマという壁がある場合、その人自身がカルマを乗り越えなければいけない問題の相談もあるといういうことです。

 

そのようなときは、その壁を乗り越えるためには、その人自身が自分のカルマの欠点に気づいて直さなければ、神も救うことができないのです。

 

なぜなら、簡単に救っていては、その人の修行にはならないからです。修行とは、欠点を改めることなので、カルマの欠点を直さないことには、この世に生まれた目的を達することができません。この世に生まれた誰もが人生において、通らなければいけない「道」なのです。

 

 

 

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