気づけていない人というのは、端から見れば間違ったことをしているのですが、自分では正しいことをしていると思い込んでいます。
ある男性は、会社内の後輩(男性)を恨み、彼の女性関係を内部告発をして恨みを晴らしたいという欲望にかられると言います。
その後輩は社内のトラブルメーカーで、対人トラブルを起こしたり、この男性に対しても、みんなの前で男性をバカにするような発言をしたり、恥をかかせたり、「自分のほうが優れている」といったような発言をしたりするらしく、心底腹が立っているようでした。
さらに、この後輩は既婚者なのですが、数年前に男性の部下の女性に手を出し、2年間にわたって愛人としていたそうで、恨みのあまり、内部告発を考えているのです。
善行によって悪いカルマが増え、悪行によってよいカルマが増えることはありません。善行はよいカルマを増やし、悪行は悪いカルマを増やします。
たとえば迷路を思い浮かべてみましょう。
間違った道を選択して進んでいけば、やがて行き止まりになります。正しい道を選択して進んでいけば、やがてゴールへと辿り着きます。
行き止まりになってしまったら、道を戻り、違う道を選択して進んでいかなければ、ゴールヘ辿り着くことはできません。単純なことですが、ゴールへは正しい選択をしないと辿り着けないのです。間違った選択をすれば、正しい道を選択し直さなければいけません。
カルマもこれと同じなのです。
正しい選択をしていけばよいカルマが増え、間違った選択をすれば悪いカルマが増えます。間違った選択を修正しないでそのまま突き進んでしまえば、悪いカルマを解消することはできず、逆に悪いカルマを増やしてしまうことにもつながっていきます。
人生は迷路と同じように、どの道を進めばよいのか? という答えを明確に知ることはできません。迷路を上から見ることができれば全体像を知ることはできますが、それができるのは神様のみ。人間にはその全体像を知ることはできません。
しかし、カルマの法則がある限り、よい行いを続けていれば、やがてゴールへと辿り着きます。それが人生のルールです。逆に考えれば、悪い選択をする最後の意思決定は誰にも止められないので、本人の考え方によっては、ずっと悪い選択をし続けてしまい、ゴールへ辿り着けないということも、当然あるということです。どちらの選択をするかは、自分次第といえるのです。
彼の場合、内部告発をする行為は、間違った選択でしょう。
もちろん、彼が後輩に対していい気がしないのはわかりますが、そのレベルを通り越して恨みを持つようになると、その状態での彼に対する言動は、冷静な判断のもとでは行われません。間違った選択の先には、行き止まりしかありません。
恨みを晴らすために人を陥れるのは、人間が最もやってはいけないことのひとつです。こうした〝恨み〟という念を、〝復讐心〟でもって相手に返すという行為は、そのあと負の連鎖を生み出すことになってしまいます。
たしかに、後輩が彼に対してやっていること、社内の女性に対してやったことは間違った選択でした。それに対して彼が感情的になってしまうのも、当然のことです。しかし、始まった負の連鎖を自分も続ければ、やがてまた自分に返ってきてしまいます。それがカルマの法則だからです。
そこで自分が負の連鎖を断ち切ることができれば、邪念が晴れて冷静になり、正しい選択をしていくことができるのです。
人間関係のトラブルは、実はコミュニケーション不足によるところが大きいのではないかと考えています。
私たちは言葉だけではなく、表情や声のトーン、ジェスチャーなど、体全体を使ってコミュニケーションをとります。しかし、ひとつひとつの自分の言葉、そして相手の言葉に注意を向けながら会話をしないと、いらぬ勘違いや誤解を生んでしまうことがあります。一度絡まってしまった糸を解くのは難しく、やがては切ってしまわなければいけなくなるかもしれません。
「話してみたらいい人だった」というのもよくあることで、人は自分の気づかない間に、相手のことをよく知りもせずに個人的な感情で否定してしまっていることがあります。
よほど相性がよくない限り、お互いの言葉に注意をきちんと向けながら会話をしないと、深く理解し合うことは難しいのです。コミュニケーションとは、〝相手に伝えること〟、そして〝相手を知ろう(理解しよう)とすること〟なのではないでしょうか。
相手に自分の考えを理解してもらうためには、正しい言葉を使わなければいけませんし、逆の立場であれば、相手の話していることを理解するためには、正しい言葉を知らなければいけません。
事あるごとに「読書をしましょう」と申してまいりましたが、読書というのは言葉を覚えることができるのです。意識せずとも、読めば読んだだけ単語力や語彙力が蓄えられていきます。
小説で考えてみます。小説は、言葉のプロである作家が、自分の頭の中で考えている物語を文字に変換して表現をします。いわば、頭の中に浮かんでいるイメージを言葉を使って読者に〝見せる〟ということです。
ここで重要なのは、〝読ませる〟ではなくて、〝見せる〟ということです。
どういうことかと言いますと、言葉というのは頭の中で考えていることを伝えるための〝手段〟ですから、頭の中で考えていること〝そのもの〟ではありません。言葉にして相手に伝わった時点で、それは自分がイメージしているものからは少しずれたものとして、相手には受け止められています。
そのずれを修正するには、言葉を重ねて、お互いに確認しながら会話を進めていく必要があります。そうしなければお互いに本意が伝わらずに、実態とはまったく違った人物像になってしまいます。
相談者と後輩の彼の関係性は、まさにこのコミュニケーション不足です。社内なので会話はしますが、その会話はお互いを知ろうとする会話ではありません。ふたりの関係性の始まりで躓いてしまい、そのまま軌道修正することなくやってきてしまったために、恨みを持つまでになってしまったのです。
このような関係性というのは珍しいものではなく、わりと身の回りにあふれているものではないでしょうか。犬猿の仲と呼ばれるものの中にも、コミュニケーション不足によるものがあるかもしれません。
もちろん、彼らのようになってしまった関係性を修復するのはかなり大変でしょう。友人ではなく、〝会社〟というものでつながっているにすぎない関係性ですから、お互いに仲を修復しようという気持ちはほとんどありません。
人間関係のもつれは、お互いにきちんと向き合って、お互いを理解するような努力をしないと、修復することは難しいのです。
彼らにはその気はまったくありませんから、現実的に考えれば、受け流すという対応がいちばんです。時間が解決してくれることも往々にしてあります。無理に何かやろうとすると、余計に摩擦が起きてしまう関係になってしまっていますし、ましてや相手を陥れるという行為は、いずれ自分に返ってくることですので、言ってみれば自分で自分を攻撃していることと同じなのです。
つまり、悪いカルマを作る行為は相手を傷つけることなのですが、やがて自分に返ってくることを考えれば、〝自分を傷つける行為〟ということなのです。
それと同じように、よいカルマを作る行為は人に思いやりを持つということなのですが、人に思いやりを持つということは、自分に思いやりを持つということなのです。
人間関係は、自分自身との対話でもあります。「自分がされたらどうか?」と考えることは、今自分がやろうとしていることが、どのように未来の自分に影響するのかを考えることなのです。
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