相談を受けていますと、「私はちゃんとやっているのに子どもが言うことを聞いてくれない」「婚活しているのに結婚相手が見つからない」「遅くまで残業して頑張って仕事をしているのに給料が上がらない」「せっかく子どもを塾に行かせてあげているのに成績が悪い」などといったような、「自分は◯◯している “のに” 、うまくいかない」といったことを多く聞きます。
しかし透視をすれば、“努力しているつもり” になってしまっていることがよくわかるのです。
そして原因を調べてみると、事実よりも “自分” を信じてしまっているからだということがわかります。
たとえば、一生懸命子育てをしてきたのに、息子が中学になると非行に走り、高校になる頃には手もつけられないほどになってしまった、というのはよくある相談です。
この場合、親が初めに言うのは「どうしてこうなってしまったのか、まったくわからない」という言葉です。
この世を動かす因果の法則は、ある結果が起きたということは、必ず原因があるということですが、この原因と結果は一度きりではなく、結果が新たな原因を作り、その原因がまた新たな結果を作り、といったように留まることはありません。
生きていく限り、一瞬たりとも止まることなく働き続けます。
しかし、そのサイクルを回しているのは人生を生きている自分自身なのですから、意思によって感情をコントロールすることで、一瞬一瞬の選択をなるべく間違わないようにすることは可能なわけです。
こうした本質的なことに気づいていないと、表面的なことばかりに気がいってしまい、肝心要の部分が疎かになってしまいます。
先ほどの子育ての例で言うと、塾に通わせたり、習い事をさせたり、家ではちゃんと勉強をさせたり、時間も親がきっちりと管理していたり、そういったことばかりに気をとられてしまい、子どもに対する言葉といえば「◯◯しなさい」「〇〇しないとダメでしょ」「それはしちゃいけません」などといった、“命令” になってしまっているのです。
子どもは知識が浅いので未熟ですが、ひとりの人間です。
親が支配的な感情でぶつかれば、その負の感情は子どもの中に蓄積していき、やがて自我の成長と共に危険を感じて反発をするようになってしまうのです。
愛情を持っていて、お金をかけて教育をしているのに子どもに問題が起きてしまうのは、愛情とお金の使い方が間違っているからなのです。
せっかく努力して「子どものためにしてあげよう」としても、方法が間違っていればよい結果に辿り着くことはできません。
たとえば山登りでは、頂上まで登るルートはいくつかありますが、それぞれの道にはまったく違う美しさ、苦しさがあるものです。山登りではただ登っていくだけではなく、さまざまな試練が訪れます。それに対応しながら、正しい道を選択して上に登っていきます。
しかし、ここで選択を誤ってしまうとどうなるでしょうか。道を間違えてしまったら? 天候が悪くなりそうなのに突き進んだら? そう、頂上にたどり着くことはできません。正しい選択をしながら登り続けた人だけが、頂上に立つことことができるのです。
人間は人生で次々と起こることをすべて覚えていられないので、どうしても一瞬の判断を感情的に行って間違ってしまうことがあります。
過去を振り返ったときに、そうした感情的な判断による誤った自分の行為など覚えていないので、失敗している事実を目の当たりにしてもなお、「私が間違ったはずはない」と、思い込み続けてしまうのです。
原因と結果の法則は絶対です。
結果がよくないということは、やり方が間違っていたということです。
ですから、やり方を変えるというのが正しい選択です。間違った努力をしてしまったのなら、「一応、努力 “は” したんだから間違いではなかった!」と自己弁護するのではなく、「努力を無駄にしないように、同じ間違いは起こさないようにしよう」と考えるほうが自分のためになるのです。わざわざ、自分を余計に苦しめるようなことをする必要はありません。
何事もそうですが、間違いというのはすぐに認めるべきです。
そして、すぐに改善策を練り、実行することです。これが正しい努力というもので、こうしたことができる人は、社会的にも、人間的にも高い評価を受ける大きな器の人間になります。
このような人は、目標を達成するための “方法” それ自体に固執することがありません。ですから、間違いは間違いと認めるのです。では、何に重きを置いているのかというと、“目的” です。
よく、「手段が目的化する」と言いますが、自分のやり方に感情を入れてしまうと、どんなに失敗をしてもそのやり方に固執し、結果の出ない方法を繰り返してしまいます。
本来の目的を忘れ、自分のやり方を守り通すことが目的となってしまうのです。これでは、同じところでグルグル回っているだけで、本来の目的を達成することは意識を変えなければもはやできません。
ですから、徹底的に目の前の結果、つまり事実を大切にしなければいけないのです。
その事実がよい結果ならば、これまでの方法は間違っていなかったということで、これからも続けていけばよいのです。
事実を事実と認めないことには、正しい努力というものはできません。因果の法則が成り立っている限り、よい行いにはよい結果が、悪い行いには悪い結果が必ず起こるので、悪い結果なのに方法を変えなければ、いつまでも悪い結果が生まれ続けてしまうのです。
努力をしているのに思うような結果が出ないときは、真っ先にその方法を考え直すことがよい結果に結びつきます。
よい結果というのは、自分になんの関係性もなく突然起こるものではなく、必ず自分がその結果の種を生んでいるのです。
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