青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

現代の子育ての落とし穴

私たち人間の血縁関係というものには独特のものがあり、親類縁者、親兄弟といった関係にある人とは、それだけで強い絆で結ばれているという感覚があるように思います。

 

ひとつ屋根の下で暮らす「家族」に対しては、そういった中でも、もっとも強い絆で結ばれている、という思いがあるのではないでしょうか。

 

しかし、古き良き時代にあった大切なものが、今、家族の中から失われつつあるように思います。

 

核家族や個食といったことが問題になるなど、家族団らんといった光景が少なくなりましたが、近年ではいわゆる「親殺し」「子殺し」というような、日本の「家族関係」を根底から揺るがしてしまうような、おぞましい事件も多発しています。

 

これには、飽食の時代に入ってからの「子育ての間違い」といった問題が含まれていることを見逃してはいけないのではないか、と私は考えています。

 

たとえば、終戦後、いわゆる物があまりなかった時代には、物を分け合って食べるとか、隣近所で助け合うことが当然でした。

 

さらに、忍耐強く物事に取り組むということを、日常生活の中で当たり前のこととして行っていましたし、親もそういう教育を子どもに対して行っていました。

 

その後、高度経済成長時代になると、私たちの生活は昔とは比べものにならないほど豊かになっていきました。次々と便利な家電製品が現実のものとなり、生活も豊かになり、食べ物に困ることもほとんどなくなり、本当に便利な世の中へと変わりました。

 

しかし、さらに飽食の時代へと進むと、今度は逆に、「人間の心」というものが置き去りにされてしまったように思えるのです。ここでいう「人間の心」とは、「情緒」と言い換えてもいいでしょう。

 

そのようにして、「人間の心」が置き去りにされた結果が、ニュースなどで見る悲惨な事件の原因にもなっているのではないでしょうか。

 

親子の関係というのは、人間の基盤となる「心」を育てるために、非常に重要です。

 

親が子を育むとは、子どもの将来の土台となる人間形成をすることなのです。つまり、ここをないがしろにしてしまうと、次の時代を担う子どもの将来に、大きな影響を及ぼしてしまう可能性があります。

 

私のもとに子育てのことで相談に見える方々の話を聞いていて思うのは、教え育てることと厳しく叱ることを勘違いしている親御さんが多いことです。

 

たとえ、それが愛情からのものであるにせよ、まるで機関銃のようにがんがんと「ダメでしょ」「何やってるの」と子どもを厳しく叱ることが、いい子育てだとか、いい躾だと思っている方がよくいらっしゃいますが、でもそれは、はっきりいって間違った子育てだと私は思います。

 

また、そういう方に限って、

 

「私は一生懸命、子育てをしてきましたし、子どももいい子に育っています」

 

というようなことをおっしゃるのですが、子どもは口うるさく怒られるのがイヤだから親の言うことを聞いているだけです。いわば、表面的にいい子になっているだけで、肝心要の心が育っていないことが多いのです。

 

この問題は、本当に根が深く、親にうるさく怒られることで子どもがストレスをため、親の目が届かないところでいたずらをしたり、誰かをいじめるといったケースも目立ちます。

 

私は、そういったことも、間違った子育てが招く問題のひとつだと考えています。

 

一日に何度もうるさく言うより、ポイントを押さえてビシッと言ったほうが、数倍、子どもの心に響くものです。子どもを正しく教え導くためには、とにもかくにも「会話」が重要だと私は考えています。

 

つまり、幼い頃から言葉でしっかりと、挨拶や日常の正しい立ち居振る舞いといったことを教え諭すということです。

 

そういった日常生活の訓練をすることによって、子どもは、人との会話で気をつけることや忍耐することを覚えられるのではないでしょうか。

 

今、そういったことが欠けてしまっている大きな理由としては、共働きの家庭が以前よりも格段に増え、子育てにかける時間や、自分自身の気持ちの余裕がなくなってしまった、ということをあげることができると思います。

 

もちろん、いくら仕事で忙しいとはいえ、それによって子どもに対する愛情が変わるわけではないでしょう。

 

ただ、忙しさゆえに心の余裕がなくなり、子どものためを思えど、口うるさい親になってしまっては、いくら子どもを世界でいちばん愛していようとも、子どもにとっては単に口うるさいだけの親になってしまいます。

 

親子といっても、ひとりの人間と人間ですから、親の権限を使い、力で制圧することで言うことを聞かせるのではなく、こう言ったら子どもはどう感じるか、といった視点を持ち、人としてどう向き合っていくかを考えながら子育てをしていってほしいのです。

 

たとえば、子どもが転んで洋服を汚してしまい、そのとき、「ダメでしょ! 何やってるの!」と頭ごなしに叱ったとします。ここで注意していただきたいのは、“言葉”の重要さです。

 

子どもといえども、洋服を汚してしまったら、申し訳ない気持ちになります。ですから、「ダメでしょ」というのは間違っているのです。そして、「何やってるの」というのは、見てのとおり、転んでいるのです……。

 

自分の発する言葉の重要性を考えずに、むやみやたらと“口を開く母”でいては、子どもに対して“口ごたえ”の練習をさせているのと同じです。

 

また、学業優先で、情緒を育てることを忘れがちなところも、今の時代の子育ての落とし穴ではないか、と私は考えています。

 

塾に通わせて、勉強さえできればそれでいいといったような、私から見ると、いわば学力志向の子育てをしていては、大事な情緒というものを身につけさせることができません。

 

その結果、友達と仲よく遊べないといった問題が出てきたり、人の気持ちがわからない、言っていいことといけないことの区別をつけられない、慣れた生活環境以外のことが見えない、といった子どもになってしまうのです。

 

こういったことは、のちのちまで尾を引き、学生時代はいじめ問題に悩み、やがて、社会人になってからも、周囲の人との人間関係で悩みを抱えることになったりするのです。

 

もちろん、親御さんは愛情を持って子育てをし、子どもの将来を考えてあれこれ気を配っていらっしゃるのでしょうが、それが裏目に出てしまっては、愛する我が子が大変なことになってしまう可能性もあります。

 

子どもの情緒を育てるには、親の押しつけではなく、子どもをひとりの人間として尊重し、愛のある接し方をすること。また同時に、活字に慣れさせる、つまり、読書習慣を身につけさせることです。

 

親の愛は子どもの心を大きくし、読書は感性豊かな心を育みます。その結果として、素晴らしい情緒を持った子どもに育つでしょう。

 

どういった子育てが子どもの将来のために本当に役に立つのか、ということにしっかりと目を向けていただきたいと思います。

 

 

 

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