何度も生まれ変わりを続ける輪廻転生の中、前世において自らが犯した間違った行いや思いなどに気づき、ひとつひとつ直していくことが、この世に生を受けた者の定めであり目的ですから、生きていくうえで苦しいこと、つらいこと、悲しいことがあって当たり前なのです。
ですから、誰の人生にも試練があります。その形は様々ですが、つらい出来事に遭うのは、あなたひとりではないのです。
そして、人生そのものが修行の場ですから、60歳になったら、70歳、80歳になったら修業は終わり、ということはありません。死ぬまで修業は続くわけです。
でも、だからといって人生は不幸の連続である、と解釈するのは間違いです。なぜなら、巡り来る試練をどうとらえるかは、その人の思い方次第であるからです。
さらに言うなら、そもそも試練とは、その人を不幸に落とすために訪れるものではなく、その人が背負っているカルマ(前世を含めた過去の行いや言葉の過ち)に気づかせるためのもの。言い換えるなら、その人を幸せな方向へと導く幸福の種のようなものとも言えるのです。
とは言え、それは小さな種。その種から幸せの花を咲かせるには、その人の心の土壌というものが問われます。心が良いものであれば、“幸せの種” を発芽させることができるのです。
私のところには、試練がもたらす様々なお悩みを抱えた人たちが全国各地から訪れます。
拝殿の前で大粒の涙を流し、肩を震わせながら苦しみを語る人、長年、心の奥深くにしまい込んできた悩みをふり絞るようにして、言葉少ないながらも切々と語る人、あるいは、ヒステリックなほどに泣き叫びながら自分のつらい現状を訴える人。
また、子どもの不登校やニート、借金問題、非行、嫁姑間のいさかいや職場などでの人間関係のトラブル、夫婦不和や離婚問題など、訪れる方々の相談内容も相談の仕方も千差万別です。
そのような相談者と向かい合うという役目をしていて私が痛感するのは、試練の深刻さとその人が感じる不幸の度合いは一致しないということです。
さらに言えば、試練を幸せにつなげるためには、心の土壌をいかに耕し(知識を得ること)、育て(努力すること)、成熟させるかが非常に大切なことなのだ、ということです。
というのも、「お姑さんに注意されてばかりいる」、「職場の昇級試験に3度も落ちてしまった」というような悩みを抱えて、もうこの世の終わりとばかりに嘆き苦しむ人がいる一方、生まれつき身体的なハンデを負いながらも、それを自らの宿命とまっすぐに受け止め、自分が果たすべき役目を前向きに模索する方もいるからです。
ここで、ひとつの例として、5年ほど前にご相談にいらした、ひとりの女性の話をしたいと思います。
その方は30代半ば。生まれつきの病気のために頭髪が薄く、ほぼ全盲とのことでした。
その女性は、そのようなハンデがあっても天を少しも恨まず、このような言葉を言われたのです。
「私は目が見えないせいで、多くのことを学ばせてもらいました。カルマのことも勉強しています。
今、私は多くの人の助けがあるお陰で生きています。このような私がみなさんのお役に立つためには、どのようなことをするのがいいのでしょうか」
彼女の言葉に、私は思わず頭が下がりました。そして、これまで彼女が歩んできた人生を思うと胸がいっぱいになり、涙があふれそうになる気持ちを必死でこらえました。私の言葉に真剣に聞き入る彼女の凛とした姿を、今でも鮮明に覚えております。
今ある現状を不幸ととらえるか否かは、その人の心次第なのです。
心が成熟していなければ、今ある幸せにも気づけませんし、また、真の幸福を手にすることもできないのです。
ただし、心を育てるには、一朝一夕というわけにはいきません。だからこそ、私は、毎日の暮らしの中で心を育てることに目を向けていただきたいのです。
身体のほうは年とともに衰えますので、年々、鍛えることは難しくなりますが、心は違います。たとえいくつになっても、ほんの小さな心がけ次第で、いくらでも変えていけるのです。
知識を得たり、知恵を働かせながら心を豊かに成熟させていけば、目の前にある当たり前のことにも、今よりももっと幸せや感謝の念を向けることができるでしょう。また、自分の欠点に気づいたり、間違いを直していくことも容易になるはずです。
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