「カルマ」によって運命が決められているのなら、運命は絶対に変えられないものかといえば、そうではありません。
なぜなら、悪いほうの「カルマ」に気づき、直していけば、その「カルマ」は消えていくからです。つまり、自分のこれまでの生き方を反省し、考え方や行動を変えるなどして正していけば、悪いカルマはどんどん解消されていくので、運命もいい方向に変わるわけです。
であるにもかかわらず、
「どうせ、私は悪い運命のもとに生まれているんだ」
「これはカルマの仕業だから仕方がない」
というようなことを言う人がいます。
しかし、そういう人は、「運命」という言葉で逃げているだけなのではないでしょうか。
あるいはまた、子育て、嫁姑や夫婦問題、職場の人間関係などでの苦労が続き、「もうこの運命は変わらないんだ」とさじを投げ、あきらめてしまう方もいらっしゃるようです。
でも、運命を変えたいと思ったなら、いくつになったとしても手遅れということはありません。
どうせ、もう五十歳だから、六十歳を過ぎたから、今さら何をやってもだめなんだ、と思う必要はまったくありません。たった今、この世を旅立つとしても、決して遅いということはないのです。
要するに、運命をいい方向に変えられるかどうかは、自身の心の持ち方次第。苦しい出来事が我が身に降りかかったときに、
「なぜ私だけが、このような苦しみを味わわなければいけないのか」
というようにとらえて、ただ嘆いてばかりでいるか、
「何か、自分では気づいていない落ち度があるのではないか」
「どうすれば乗り越えていけるだろうか」
と、前向きに考えていくことができるかどうかということです。
このような視点から見ることができれば、それが、試練を幸せへと転ずる第一歩。運命を好転させる、大きなポイントといえるのです。
つまり、今は苦しくても、これを乗り越えれば、やがてこの経験が自分の人生にプラスに働き、そのことが、やがて自分を成長させてくれる、幸せにしてくれる、といった正しい判断力を働かせることができるかどうかです。
また、腹を立てたり、恨んだりすることがあっても、その気持ちをずっと引きずらずに、やがて時がたったのちに、相手を理解し、許す努力をすること。これをクリアできれば、運命をいい方向へと、確実に変えていくことができるのです。
「運命だからしょうがない」という、人生の逃げ道を選択し、その道を進んでいってしまっては、いつまでたっても成長できませんし、幸せになることもできません。
幸せは、自分の心を反省し、直すことと共にあるのです。幸せだから自分が成長するのではなく、自分が成長することで、幸せは訪れるのです。
私たち人間は、どうしても苦労というものをいたずらに恐れたり、嫌ったりしがちです。
しかし、苦労した経験はやがて活きて、その人の人生を充実したものにしてくれます。苦労した中から得るものは実に多いのです。みなさんも、そのような経験があるのではないでしょうか。
いわば、苦労とは、その人の魂を成長させるために与えられた必要な経験、必要悪である、と私は考えています。
苦労の最中にいるときは、もう苦しくて苦しくてたまらないけれども、あとから振り返ったときに、あの苦労があったから今の自分があると思えたり、つらい出来事があったからこそ踏ん張りがきいて頑張れたり、その結果、眠っていた才能や能力が花開いた、ということもあるでしょう。
また、病気やリストラ、会社の倒産など、悪い出来事や苦労が、その人のその後の成功のターニングポイントになることもよくあることです。
いわば、苦労=努力を引き出す発奮剤ともいえるでしょう。
いずれにせよ、人生に苦労はつきものです。
苦しみのない人生などありえないのです。なぜなら、この世は修行の場だからです。だからこそ、「運命のせい」と投げ出さずに、まっすぐな心で苦労と向き合うことが必要なのではないでしょうか。
言い換えるなら、アクシデントが起こったときこそ、人間として大きく羽ばたくチャンスです。
そこで頑張ることができたなら、「悪いカルマ」は解消され、その経験があなたの魂を成長させ、その積み重ねで、人は幸せになっていくのです。
与えられたよいカルマは別にして、幸せの風は、突然、吹いてくるものでもなければ、突然強くなったり、弱くなったりするものでもありません。また、苦しみも、突然やってくるわけではありません。あなたの努力の積み重ねによって、つまり自分自身で、よいカルマを作っていかなければいけないのです。
【You Tubeチャンネル】
「運命が丸裸になる」と、
驚きの声、声、声!!
【木村藤子の鑑定公式サイト】
【私にご質問いただけるメルマガはこちら】
・note ・foomii ・まぐまぐ のいずれかで登録できます。
note