カルマの法則や運命のシナリオから見ると、自分の周りで起きている現実は、なんらかの意味ですべて自分と関係しています。
関係しているからこそ、気づいて直すチャンスが与えられ、そこで心が大きく動くのです。
ところが、世の中には、
人並みに苦労はしているようでも、気づかなくてはいけないことに気づけない。
いくら知識が大事だといってもその意味が理解できない。
他人のために命がけでやっている人を見ても心が動かない。
そのような人たちも少なからずいます。
極端な話、そのような人に共通しているのは、「人が死のうが生きようが私にはまったく関係ない」という無関心さが根強くあることです。
なぜ、無関心でいられるのか?
どうして、ものごとを自分の気づきや学びの材料として捉えられないのか?
それは、そもそも「自分は何のために生まれてきたのか?」ということに関して自問自答したこともなく、まして、人は何度も生まれ変わりながらカルマを清算し、魂の成長を遂げていくという見えない世界の仕組みについて、まったく無知だからです。
この世に生まれてくる前に、誰もが例外なく神仏の助言と承認を得て、自分が歩むべき道のり、運命のシナリオを決めてきています。
つまり、新たな肉体に宿ることによって前世からの続きの人生を始める。いい換えれば、過去にやり残したことや課題に挑戦するために新たなチャンスを与えられた、ということです。
例えば、テレビで連続ドラマを観るとします。
ドラマの放送回数が進むごとにいろんな場面が映し出されるように、1回目の放送は1回の人生、次の回では場面が変わって、新たに2回目の人生が始まる。
そんなふうに連続して続いていくのが人生という物語で、その中で悲喜こもごもな出来事に遭遇し、苦悩し、いろんな体験を重ねながら主人公が成長していく。
そんな人生ドラマが観る人の心を打ち、感動を誘うのは、まさに一人ひとりの魂が時代をまたいでそのように生きているからです。
どんな物語、ストーリーを描いてきているとしても、そのシナリオを書き、それにそって生きていくのはあくまで本人です。
主人公であるあなた自身(魂)が、そのシナリオを選んだからこそ、今、この世でこうして生きている、ということです。
仮に、前世の記憶があろうがなかろうが、神仏の世界から見たら、それはあなた自身が望み、選んだ道であり、それゆえ、その道から逃げないことが「神様との約束」ともいえるのです。
自分の前世を知らなくても、神様との約束は「カルマの清算」「魂の成長」という点であることには変わりなく、清算すべきカルマは、人それぞれのシナリオの中に避けられない運命として立ちはだかっているのです。
ならば、その魂のシナリオにそって懸命に生きることが、人としてあるべき姿に近づくことにほかなりません。にもかかわらず、
「自分が頼んで産んでもらったわけじゃない」
「こんな親じゃなければもっと幸せになっていたはず」
「私が不幸なのは出会った相手が悪かった」
などなど、生まれてきた環境や人生がうまくいかないのを他人のせいにして不平・不満、愚痴をいっているのは、魂のシナリオから逃れようとして、自己責任を放棄する愚かな態度にほかなりません。
すなわち、見えない世界についての知識不足。
「私には関係ない」という無関心さの根底には、この根本的な知識不足があるような気がしてなりません。
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