青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

人生の光と影

運命(魂)のシナリオに書かれていることがらは、この世において否応なしに直面することになり、それはまるで磁石のように見えない力で引き寄せられます。

 

ここで、私自身の例をあげたいと思います。

 

本のテーマを決めるにあたって、編集者の方々と最終的な打ち合わせをすることになっていた日の前日、長年にわたって親しくおつき合いをさせていただいている知人から、こんな言葉をかけられました。

 

「私たちは今までずっと藤子さんの傍らでいろんな出来事を見てきたけれど、藤子さんから争い事を起こしたことは一度もない。けれど、いくら争い事は避けたいと思っていても、魔物は外からやってくる。それも藤子さんがどうしても通らないといけない道のりだからでしょうか?」と。

 

彼女がいうには、私がいくらそこを通りたくないと思ってもほかに道はない。この道を通るしかないからと進んでいくと、周囲のやっかみや嫉妬から難癖をつけられたり、あることないことではなくて、ないことばかり陰口を叩かれたり、常識では考えられない嘘をつくりあげ、知らず知らずのうちに周りが起こす騒ぎの渦中に置かれてしまう。けれど、藤子さんは、なぜ、事実をどこまでもはっきりいわないのでしょうか? それはこの家に生まれたからには仕方がないこと、というわけですか?

 

そういわれて、私は思わずハッとしました。

 

彼女のいう通り、これまで私から何かしかけて問題を起こしたことは一度もありません。

 

とはいうものの、相談者の中にはいろんな方がいて、自分が期待した答えが得られなかったと不満をぶつけてきたり、インターネット上などで陰口をいう人もいます。

 

また、仕事関係でも身近に接していたある女性が、表面ではよい人を演じながら、陰では周囲の人間関係を壊すようなことをしでかしていて、とても大きな痛手を負ったこともありました。

 

私なりに与えられた仕事に励み、いくら善意でなしたことであっても、なかには悪意のある人や自分の欲から人を裏切ったり騒ぎを起こす人が現にいることから、その知人は、第三者の立場から次のようにいってくれたのです。

 

「たとえ人間の心の魔物が騒ぎたてようとも、藤子さんはその道のりを歩むしかない。でも、それらの苦しみからいろんなことを学べるのだから、それは神が藤子さんに本を書かせるための避けて通れない道のりです」と。

 

私も、その通りと内心深く彼女にうなづくことができます。さまざまな苦しい経験が私の魂を成長させてくれたのです。

 

要するに、人生にはよいことばかりではなく、避けようとしても避けられない困難な状況に遭遇することがある。よくいわれるように、生涯には上り坂や下り坂、そして「まさか」もあるということです。

 

いい換えれば、人生には必ず光と陰がある……。

 

これが運命のシナリオに隠された二面性であり、シナリオにそって生きるとは、たとえ陰のように見える困難な道であっても決してそこから逃げない、という意味です。

 

なぜなら、陰の部分、困難な状況の中にこそ、魂を磨いて成長させてくれる研磨剤があるからです。その研磨剤こそが試練なのです。それをどう克服していくかを神は見つめています。

 

これはなにも私に限ったことではなく、多かれ少なかれ誰にも当てはまることではないでしょうか。

 

確かに、これまでの私の人生をふり返ってみても、ある面ではとても恵まれました。

 

青森の片田舎に生まれ育った私が本を出すことができ、理解あるマスコミのみなさんのおかげで気づきという新風を日本中に巻き起こすことができたことは、本当にありがたく、感謝すべきことと思います。

 

家族をはじめ、人柄のよい人たちにも恵まれ、大変親しくさせていただき、そのおかげで、この世で生きることへの喜びも実感でき、頑張ってこれました。

 

しかしその一方で、私がテレビに出るようになった頃から、大半の好意的な声とは裏腹に、地元でもあらぬ陰口をいう人たちがいることを知らされ、少なからず心が痛んだだのも事実です。

 

ごく一部の人ですが、なかには「あの人は昔、売春をしていた」などとまったくありもしないことをマスコミ関係者に話すこともあったようですが、これは聞いた方が大笑いしてしまったとか。

 

ほかにも、「あそこは1回の相談料が◯◯で、毎月これくらい儲けている」とか「相談者はみんな怒って帰っている」などと根も葉もない噂を流す人もいて、どうしてそんないい加減なことを平然といえるのだろうと、人間の持つ「節度」に対しうなだれたことも多々ありました。

 

しかし、このような風評被害もある意味避けられない現実として受け入れるしかないのかもしれません。なぜなら、悪意による言動はその人自身のカルマでもあるからです。

 

人生の道のり、運命のシナリオには、必ず光と陰の両面があります。

 

「天は二物を与えず」という言葉がありますが、それは才能に限った話ではなく、その人を取りまく環境や人生そのものにも当てはまるのではないかと思います。

 

ですから、光の面だけを求め、陰を避けようとしても無駄で、誰もがそれぞれの光と陰をともなった運命と直面せざるを得ないのです。

 

例えば、私のところには「霊能者になりたい」という方がよく来られます。

 

その多くは、テレビなどで一部の霊能者がもてはやされ、ある意味人気者のように映し出されている姿を見て、「自分もあんなふうになりたい」との憧れを抱いているようです。

 

しかし、本当の神から授かる能力というのは、誰にも与えられるものではないし、たとえ荒行をしたからといって身につくものでもありません。

 

また、多少の能力があったとしても、心が養われていなければ、そこに魔が入ります。

 

たとえ神から授かった能力であったとしても、それを維持するためには、日々の生活の中で心を養うための行を地道に、生涯にわたって続けなくてはなりません。

 

それはとてもとても地味なもので、マスコミに映し出されるような華やかさとは無縁の世界。まして本人の運命のシナリオにないことを、我欲や憧れだけで成そうとしても、叶えられる道理はありません。

 

ですから、他人の表の姿、光があたっている面だけを見て、自分もそうなりたいと早計に憧れたり、もっと目立ちたいと現実から逃避する前に、今与えられた場所で一所懸命に自分の務めを果たすことが先決です。

 

運命のシナリオには、決して華やかで楽な道ばかりではなく、必ず困難で厳しい試練の道が用意されています。

 

このことは、どんな分野であっても同じことがいえるのではないでしょうか。

 

例えば、オリンピックに出場する選手であっても、そこに至るまでに人一倍のトレーニングを重ねているのはもちろん、精神力の強化など普通の人々には理解しがたい自助努力が求められ、時にスランプに陥って人知れず苦悩することもあるでしょう。

 

多くの人から好意的に注目されたり、華やかで輝かしい人生を送っているように見えていたとしても、人として生まれ、人として生きている限り、多かれ少なかれ何らかの困難さがともなうのが人生で、そこには必ず光と陰があり、まさかもあるのです。

 

 

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