ここ青森にご相談にいらっしゃる方はみな「幸せになりたい」とおっしゃるのですが、「幸せ」の具体的なイメージは持っているのかな? と、疑問に思うことが多々あります。
「幸せ」は、すべての人が納得する「幸せというのはこれです」といった定義があるわけではなく、人それぞれ「幸せ」の定義は違うでしょう。
また、「幸せ」と「欲を満たすこと」を混同してしまうと、欲の無限地獄に入り込んでしまう場合もあります。そうするといつまでたっても心が満たされず、次はあれ、次はこれ、と欲望を満たすことが目的となり、欲望を満たせない状態は「不幸」な状態に陥ってしまいます。
「幸せ」とひと言でいっても、当然ですが具体的な姿形はありませんし、冒頭で述べましたように幸せの形は人それぞれ違うでしょう。
ですから、ただ「幸せになりたい」というのはあまりにも漠然としすぎているのです。
みなさんも「幸せになりたい」と実際に言葉に出してみてください。なんだか空虚な感じがしないでしょうか? ぼんやりとしていて、まったく「幸せ」の形が想像できません。
大切なのは、”具体的に幸せを思考すること”なのです。
例)
「幸せになりたい」
↓
「今の何がどうなれば幸せだと思うのか?」
↓
「そうなるためには何をすればいいのか?」
↓
「いつくらいまでにそうなりたいのか?」
これはひとつの例ですが、このように具体的に考えることによってグッと現実味が増していきます。
この世の中で私たちが考える「幸せ」のほとんどは、具体的に思考して行動することで大半は叶えられます。
しかも、「幸せ」や「不幸」は至極主観的な感情で、「不幸が幸福に、幸福が不幸に」といったように、自分の考え方ひとつで幸不幸すら変わってしまいます。
同じ体験をしたAさんとBさんがいたとします。
ふたりで同じトラブルに巻き込まれましたが、Aさんは人生経験だと思い笑ってすませ、そのあとは友人とのお話のネタとして周囲におもしろおかしく話して聞かせます。
逆にBさんのほうは、この世の終わりかとばかりに落ち込み、その後もそのトラブルの話を「いかに自分は不幸だったか」といった具合に周囲に話します。
同じ出来事でも、受け取り方によってその出来事は真逆の意味を持つのです。
このようなことはみなさんも経験があるのではないでしょうか?
ここでひとつの真理をお伝えします。
物事”そのもの”には実は幸不幸はありません。
離婚は不幸でしょうか?
いいえ。
幸福でも不幸でもなりません。
自分がどう考えるか次第です。
大事なことは…
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