青森の拝殿では、毎日のように“運命”という言葉を耳にします。また、誰しもが人生で一度は「自分は何のために生まれてきたのだろうか?」と自問したことがあるのではないでしょうか?
こうした問は古今東西、人間の変わらぬテーマで、誰もが持つ普遍の問いですが、深く考察するために、「運命」という言葉の意味を改めて辞書で確認してみたいと思います。
そこには、「人間の意思を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によって巡ってくる幸せ、不幸の巡り合わせ」と書いてあります。
ここにある“人智を超えた力”というのが、先ほど説明した“カルマ”で、それが幸不幸の行方、いわば運命を決める、と言っていいかと思います。
つまり、人が背負っているカルマのひとつひとつが、まるで糸のように複雑に絡み合って、運命という名の一枚の布を織り上げている、ということです。
そして、一枚の布に織られた模様のごとく、人生で起こる出来事、出会う人など、生まれながらに定められた運命があるわけです。
たとえば“天寿”や“天職”という言葉があるように、寿命は運命で定められていますし、仕事やお役目も天から与えられたもの(そのときの自分に必要なこと)といえます。
人と人とのご縁もそのひとつ。
どんな両親のもとに生まれてくるかは、運命で決められたご縁によるもの。子どもはカルマに合った親を選んで生まれてきます。また、夫婦になる相手のことを、俗に“運命の赤い糸で結ばれた相手”と言いますが、ここにも当然、カルマが働いているわけです。
そして、人の運命とは平坦な道が続くようなものではなく、まるでひょうたんの形のごとく、山あり谷あり。いいときと悪いときがどちらも巡ってきます。
なんらかの問題を抱え、不幸のどん底にいるように感じているときは、「なぜ、自分ばかりが苦しい目に遭うのか」と、ぼやきたくなることもあるでしょう。でも、幸せばかりの人生も、ただ苦しいだけの人生もありません。
もしも人と比べて、自分の人生には苦労が多いように感じたとしても、それは、いうならば……
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