ほとんどの人は、今日一日が終わって眠りにつくとき、今日と同じようにまた「明日」が来ると一切の疑いがありません。
何か特別なことが控えているという場合でない限り、「明日も平穏に暮らせるだろうか」という心配は抱かないものでしょう。日々は当たり前に続いていくと、心のどこかで信じていられるからこそ、人は生きていくことができるのです。
もし、「大きな隕石が地球に落ちてきて、明日の夜の10時をもって、人間は滅びます」と宣告されたら、目の前の小さな悩みなど、どうでもよくなるのではないでしょうか?
これは、日々の悩みがどうでもいいことだと言っているのではありません。毎日をきちんと生きていくためには、目の前の悩みをひとつひとつ解決していくことが大切ですし、それこそが自らを成長させ、カルマの浄化に繋がることは繰り返しお話ししてきました。
しかし、悩みの解決にだけ一生懸命になりすぎて、当たり前の毎日を過ごせるように、自分を支えてくれているものをないがしろにしてしまっては本末転倒です。
自分の幸せを形作ってくれている周りの物、事、人をしっかり見つめ直してみましょう。自分の「縁起」を観察するのです。
私が神と接する中で知り得た「気づかなければ何も変わらない」という考えは、決して悪いことに対してだけではありません。
ある日、拝殿に子どもの将来のことを聞きたいという老婦人がいらっしゃいました。物腰も口調も柔らかで非常に礼儀正しく、接しているこちらの背筋も伸びるような清々しい印象の方です。私は早速、神に依頼の内容について伺ってみました。
すると……
この続きはメルマガで読むことができます。私に質問もできますので、ご興味ある方はぜひご購読ください。
↓登録はこちらから↓