わが親であっても、わが子であっても、別々のカルマを持っています。
自分のカルマを清算するために親を選んで、その母親のお腹に入り、生まれてきます。誰もが、カルマのリュックサックを背負いながらも、可愛い顔をして生まれてくるのです。
同じ兄弟でも、一人は貧しくて食べられなかったり、また別の一人は成長の途中で重い病気になったり、小さい時には苦しんでも成長してからは幸せになったりと、一人ひとりカルマは違います。
同じ家や環境に生まれても、現世ロードの道のりが違うのはそのためです。
各々の道のりの中で、それぞれが自分自身の悪いカルマを克服していかなければなりません。
そこで大事なことは、いろいろな苦しみに出会った時、原点に返ってものごとを考え、自分自身が気づかなければいけないことに気づけるかどうかが、その苦難を乗り越えるための源となります。
何か予期せぬ事態が生じた時、悩みや苦しみが生じた時に、「もしかしたら自分のカルマが原因かもしれない」と思えるかどうか。
例えば、早くに夫を亡くしてしまった女性。
よそのご夫婦は歳をとっても夫婦仲良く暮らしているのに、なぜ自分は一人孤独な状態に置かれてしまったのか? また、一人で暮らす人も多い中、自分だけがなぜ友人、知人、子供にまで大切にしてもらえないのか?
例えば、商売がうまくいかなくなって一家が離散した男性。
自分なりに努力して、遊びや浪費をしていたわけでもないのに、なぜ倒産のうきめにあうのか?
あるいは、ある日突然、妻または夫に出て行かれてしまった人。
大ゲンカをしたわけでもないし、浮気をしたわけでもないのにどうして?
なぜ、なぜ、なぜ……。
この苦しみに直面した時が大切な時で、思慮深く自分のカルマ、心の不足に気づいて、直さなければいけないのは何であるか、事の次第をふり返って見る時です。
苦しみの原因に直面するためにも、相手や社会のせいにするのではなく、「これは自分自身が招いた結果かもしれない」などと、何かしらの原因があることに気づけることもあるはずです。
そこでカルマとスピリットとの関係が認識できれば、憎しみや妬み、恨みからの脱出も早くなり、それだけスピリットの向上にもつながります。
いいかえれば、苦しい時こそ気づけるチャンスでもあるのです。
その意味で、苦しみは気づきを促すための前兆であり、サインです。
このように、気づかなくてはいけないことに気づくためには、困った時ほど自分自身のスピリットとしっかり向き合う姿勢が大事です。
私たちは、普段、人の目を気にして外見を飾ることには気をつけます。
しかし、見えないスピリットを磨く努力については、少し遅れぎみではないでしょうか?
心の不足、スピリットの欠点は、ものごとがうまくいっている時ではなく、何らかの「障害」「同じようなトラブル」として現れやすくなります。
反対に、ものごとが何でもうまくいく時というのは、善いカルマのおかげともいえるかもしれません。
ですから、困難な状況に置かれた時ほど自分の心の不足を見つめてみることが大切なのです。
その心の不足、スピリットの汚れをきれいにするのが、気づきです。
いくら外見だけ、言葉だけきれいに装っていても、スピリットが汚れたままではいつまでも目の前の不幸から脱出することはできないし、幸福もやってきません。
幸せは、内面のスピリットの輝き、向上にともなってやってくるのです。
本当に不幸から脱出して幸せになりたいと望むのであれば、過去・現在・未来のつながりの中でものごとをとらえ、過去を省みて、現在の生き方・行動が未来の苦しみの原因となることを考え、今の自分を直していくしかないのです。
いくら子育ての教育にお金や時間をかけても、またマイホームを建てる夢のために努力しても、あるいは老後の生活設計は完璧にできたとしても、カルマに気づかなければ現在の努力や苦労が無になったり、突然道がなくなることさえも気づかずにいたなら本当の幸せは得られないし、スピリットを向上させるという人生の真の目的からも遠ざかってしまいます。
このことを知る。これも気づきのための知識です。
ここで誤解のないように、気づきについて少し補足をしておきます。
気づきは、何か問題が起きた時に自分の至らなさに気づく、つまりそれまでわからなかったことを発見することです。
気づく努力をすることなく、ただ「カルマだから仕方がない」とやり過ごしたり、他人からひどい仕打ちを受けたりした場合などに、「しょうがない」とただ泣き寝入りすることではありません。
そうではなく、なぜ? どうして? 何をどうしたらよかったのか? と問い続ける、そして、経験として学びを積み重ねる中で、何が理由だったのかを自身のうちに見つけることです。
どこかに自分の気づかない弱さ、愚かさがあったとすれば、それは何なのか。それに気づけば、同じ失敗をくり返したり、人からひどい仕打ちにあう前に上手に回避できるのです。
多方面にわたる情報や今までの経験、体験、さらに書物や人生の先輩たちとの会話。そのすべての中にある知識を総動員して知る(識る)こと。そのように少しでも賢く、強くなること、それが気づきです。
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