青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

出会いの意味に興味を持つ

世の中にはさまざまな形の恋愛があります。

 

ある30代のふたりは、10年来のつき合いなのですが、その関係はあやふやなものでした。

 

始まりはしっかりとしたおつき合いだったのですが、一度別れ、そしてよりを戻してから、はっきりしない関係になったそうです。彼女は彼に自分たちの関係を聞いてみるものの、どちらともとれる答えしかもらえないまま、ふたりで過ごしてきました。

 

そんな状態に彼女の気持ちは徐々に離れていき、彼女のほうから別れを告げるのですが、精神的苦痛を味わったとして、慰謝料を払うように彼から個人的に言われてしまっているそうです。

 

婚約関係であったり、事実婚であったり、嘘をついて相手を欺いていた場合などは慰謝料が発生するかもしれませんが、通常の恋愛において、傷つけられたから慰謝料というのは、普通は支払い義務は生じないとは思いますが、詳しくは法律のプロにお任せするのがよいでしょう。

 

男女関係というのは難しいものです。10年ものつき合いともなれば、別れるのにも相当な精神力がいることでしょう。恋愛感情ではなく情ができてしまっているため、つき合うのと同様、固い決意が必要かと思います。

 

彼の場合、彼女といることでかなり甘えていたようです。慰謝料請求というのも、そういった甘えが変化したもの。つまり、甘えが〝横暴〟に変わってしまったのではないでしょうか。

 

普通、恋愛関係において、明らかな不法行為がない限り、一度は愛した相手に慰謝料を請求するなんてことはありません。しかも、彼の場合は裁判をするのではなく、個人的な請求です。本気で慰謝料を請求しようと思っているならば弁護士に相談するのが通常ですが、それをしないのは、はなから無理な要求だということをわかっているからです。でも、押せばあなたなら「わかりました」と言って、もしかしたら本当にお金をもらえるかも、と思っているのです。それはまるで、子どもが親に駄々をこねるように、彼女のことを母親のように心で感じてしまっているのかもしれません。 

 

このふたりに限らず、男女関係というものは時に感覚を麻痺させ、まるで横暴ともいえるような行為を相手にしてしまうことがあります。しかも、自分ではおかしなことをやっているという感覚はないのです。目の前のことしか見えなくなり、まったく冷静ではなくなってしまうのです。

 

恋愛ですから、もちろん我を忘れてのめり込むことはあるでしょう。しかし、その夢はいつかは覚めるものです。あとから振り返ってみると、「何て恥ずかしいことをしていたんだろう……」と、赤面してしまうようなことを平気でやってしまいます。

 

人間のつき合いというものがわかっていれば、どれだけ燃え上がったとしても、ただ「好き好き」とやっているだけではなく、お互いの理解度を高めるような関係性の構築に努めようとします。そういう方は、初めのころの情熱が収まってきたとしても、今度は違うステージのふたりとして歩んでいくことができます。

 

これができない人(うわべのつき合いしかできない人)は、最初のころの「好き好き」という感情がなくなってしまうと、あとは惰性で情でつながっているのか、別れを選ぶかのどちらかになってしまいます。相手の中身を見ていないので、自分から最初のころの感情がなくなったことを、「相手のことを好きじゃなくなった」と理解してしまうのです。

 

彼女とは違いますが、このような思考回路ができているので、つき合っては別れ、つき合っては別れ、を繰り返す方はたくさんいらっしゃいます。

 

恋愛の初めのころの〝あの感情〟は、ずっと続くものではありませんし、その感情の高ぶりの度合いは、「相手とずっと一緒にいられるかどうか?」には比例しません。言ってみれば、あの状態というのは通常の状態ではないので、〝ふたりの関係性〟というものは、ある程度おつき合いをし、お互いに冷静になってから初めて見えてくるものです。

 

これがわかっていないと、最初のころの感情が冷めたと同時に、相手が自分の心の中からいなくなり、相手の本質を見ないままに別れることを選択してしまうことになるでしょう。

 

「相手とずっと一緒にいられるかどうか」というのは、相手の本質を見ないことには判断できません。人の本質を知るためには、〝人を見る目〟がないと判断することができません。

 

そのためには、たくさんの知識を蓄え、そして実際に行動して試して、自分の価値観が正しいのか正しくないのかを見きわめていく必要があるのではないでしょうか。

 

恋愛における自分の価値観というものは、えてして主観的なものです。恋愛には〝自分の理想像〟というものはつきものですが、あまりにもそれにとらわれていると、人間のことを知るチャンスを逃してしまうことになります。

 

自分には「好き」という感情がなくても、会話をしていく中で相手のことを知り、そして相手から自分を見てもらうことで、改めて〝自分〟というものを客観視できる場合もあります。

 

すべての人間関係には、大なり小なり「気づき」があります。人とつき合うことで、自分を客観視できるからです。ましてや、自分のことを好きでいてくれる人というのは、自分では気づいていない〝自分のよい部分〟を教えてくれることが往々にしてあります。

 

そうすると人間は自分に自信を持つことができ、いきいきと人生を歩んでいくことができるようになるのです。

 

ひとつひとつの出会いに興味を持ち、そこから何を得ようとするのか? そういった感覚が、恋愛には大切なのではないでしょうか。

 

 

 

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