人間が成長していく過程では、生き方の指針となってくれる人の存在はとてもありがたいものです。
そういった人からは、知らなかった価値観や実践的な生き方など、多くのことを学ぶことができるので、大きな目標として前向きに生きていくことができるのです。
しかし、ただ闇雲に尊敬すると思わぬ落とし穴に落ちてしまうこともあります。
人は一度その対象を信じると強く影響される面がありますから、尊敬する人を間違えれば、知らぬ間に道徳を踏みはずしてしまうことだってあるのです。
つまり、人を見る目を養って、尊敬に値する人を見定めなければいけないのです。
人を尊敬するとは、人を見る目を養うことともいえるでしょう。
では、どういった人を尊敬するべきなのでしょうか?
以前、このようなご相談がありました。
ある40代の男性だったのですが、彼は30代前半で自分が尊敬する人(以下Aさん)から起業をすすめられ、「Aさんが言うんだから間違いないだろう」と思い、言われるままにそうしました。
経営のイロハから人脈から何から何までAさんに手ほどきを受け、それに従順に従ったかいもあって30代後半になる頃には会社も起動に乗り、安定した収益を出せるようになりました。
しかし、起業からの数年間は毎日が一瞬で通り過ぎていってしまうくらいの忙しさだったため、“生きる” ということを少しも考えることがありませんでした。
働けば働いただけお金がどんどん入ってくるので、それ以外のことには興味がなくなってしまっていたようです。
そして、会社が安定したのはいいのですが、気がつくと周りには友人と言える人間は誰もいなくなり、起業前からおつき合いしていた女性も、彼がまったく家に帰ってこないために、置き手紙をして出て行ってしまいました。
時間に少しゆとりができたときに、常に孤独で、数字ばかりを追いかけている自分にハッとしてしまったんだそうです。
すると、これまでの数年間、会社を起動に乗せるためにAさんに言われるままにやってきた数々の悪行が思い出され、苦しくて食事ものどを通りません。彼はげっそりとしてしまっていて、とても仕事どころではないように見えました。
彼は言いました。
「当時は、とにかくお金が欲しくて……。Aさんのことを本気で尊敬していましたし、数々の悪行も、会社経営者としては当たり前なのかな、という軽い気持ちでした。でも今考えると、私がやってきたことは間違っていた気がします。人のためではなく、自分の欲を満たすためだけにお金を稼いでいました」
会社が成功したということだけを見れば、彼はAさんのおかげでここまでやってこれたと考えることができるのですが、しかし彼の心はボロボロになってしまい、大切な友人も彼女も失ってしまいました。
これでは本末転倒ですし、彼の行動は、結果として彼の心を疲弊させてしまったのです。
このように周りに友人もいない、心もズタズタという状態では、いくら会社がうまくいっていても、いくらお金があっても、いつまでも幸福を味わうことも、平穏な人生を歩むことも難しいのではないでしょうか。
社会で人間が価値を置くものと、人間の本質的な生における価値とでは、かなりギャップがあると思います。
ですから、どんなときも自分の “エゴ”、そして人の “エゴ” を意識して、自分がしようとしていること(相手がしようとしていること)は自我が見せている幻想で、本質ではないのではないか?
人のためになることなのか?
誰かが不幸になることで自分の幸福があるんじゃないか?
そのために未来に起こる結果はどうなるのか?
と考えることです。
いつもこれを基準にして考え、自分の内面を見つめながら、人の内面も探ろうとするのです。
尊敬するべき人を見誤ると、彼のように一時の欲を満たす快楽に溺れてしまい、悪行に走ってしまうということがあるのです。
ですから、子どもには小さい頃から、「人のためになることってどんなことだろう?」とか、自分の頭で善行を考えられるように、親が指導していくべきなのです。
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