悟りや覚醒などと言われるものは、あえて目指す必要もないのではないかと思っています。
なぜなら、そうしたことに興味を持つのはとてもいいことなのですが、よほどバランスの取れた人でない限り神秘主義に傾倒してしまうか、または完全に否定する立場になってしまうかのいずれかになってしまい、自分の可能性を束縛してしまうからです。
人生を楽しむためには、真言を唱える必要も毎日瞑想をする必要もありません。真言や瞑想は変性意識状態に入るためのテクニックであって本質ではないのです。
あなたは映画館で映画を見ている人。スクリーンに映る映画の主人公はあなた。同一であり同一でない。感情移入するけど、見ている対象そのものではない。
そのように考え、感情に振り回されることなく、喜怒哀楽をそのまま感じられていることを楽しむのです。
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