ニュースなどを見ていて、心が荒んでしまってしょうがないという相談が寄せられました。
ある男性は、いじめのニュースを見て、その内容があまりにもひどく、「小さなうちから悪魔の心が宿ってしまうのは、人間の本能なのではないか?」と考えてしまったそうです。
また、世の中にはいじめ以外にも、嫌がらせや誹謗中傷など、他人への悪意や攻撃であふれていると言います。彼自身、心の中で人を見下したり、恨んだりしてしまうそうです。理性でそういった感情を抑えて、社会生活上〝いい人〟を演じるのは簡単ですが、心の奥底までいい人になることの難しさを実感していると言います。
いじめというのは、幼稚園でも、保育園でも、小学、中学、高校、大学でもあります。会社でだってあります。とても難しい問題だと思います。
ただ、いじめは人間の本能かと言われると、それは違うのではないでしょうか。
すべての人がいじめをするわけではありませんし、いじめをしない人のほうが圧倒的多数です。
また、「小さいうちから悪魔の心が宿ってしまう」というのも、ちょっと違うのではないでしょうか。たしかに、いじめのニュースなどを見ていると、本当にひどくて、胸が締めつけられます。
ただ、子どもというのはまだ精神的に幼く、人生経験も少ないですから、それゆえ、残酷な言動をしてしまうことがあるのではないでしょうか。ですから、拙著などでこれまで何度もお伝えしてきましたが、親の幼児教育、家庭の中での教育がとても大事になってくるのです。
小さいころ、親の愛情をたっぷり受けて育った子どもは、いじめをするような子にはならないでしょう。
逆に、親の愛情を受けず、きちんとした躾もされずに大きくなってしまうと、人の気持ちを考えられず、暴力的になったり、コミュニケーションがうまくとれなかったりと、人間関係におけるさまざまな問題が発生してしまう可能性が高くなってしまいます。
それだけ、幼児教育というのは大切なものなのです。
彼は心の中で人を見下したり、恨んだりしてしまうと言います。すでに、気づきの一歩を踏み出している状態だと思います。ただ、気をつけていただきたいのは、彼も感じていることですが、「いい人を演じる」のではなく、欠点を直していくことです。
いい人を演じたところで、本来的な「気づき」を得ることはできません。「気づいたつもりで気づいていない」という状況に陥ってしまう可能性があり、そうなってしまうと、いつの間にか本当に自分はいい人であるかのように勘違いしてしまいます。
すると、たとえば「なんで私はやってあげているのに、この人はやってくれないんだ!」といったような、相手に見返りを求めてしまうような心の状態になってしまうことがあります。いい人になろうとしていたのに、これでは本末転倒です。
自分がいい人かどうかを判断するのは、自分ではなく他人です。ですから、他人というのは自分の鏡であり、先生であるともいえるのです。
彼が自分の欠点に気づき、それを直していけば、望まずとも自然と周りの人から「彼は素晴らしい人だね」と言われるようになります。演じる必要なんてありません。
自分の欠点を直していくと何が変わるかというと、〝自分が変わる〟ということは、〝世界が変わる〟ことと同じなのです。それまで出会わなかったような人と出会うようになり、自然と人が集まってきます。
類は友を呼ぶと言いますが、そのようにして今の自分の状態に近い人、似たような人というのは自然と集まってくるのです。つまり、欠点をどんどん直して、素晴らしい生き方をしていると、そうした人がどんどん集まってくるのです。そうした人間関係の中にいることこそ、幸福というのではないでしょうか。
人は人との間で生きていくのですから、周りに素晴らしい人間がたくさんいるというのは、何ものにも代えがたい価値あることだと思います。
彼は今、人を見下してしまったり、恨んでしまったりする自分を変えようとしています。素晴らしいことです。初めのうちは、これまでのような感情が湧き出てくることもあると思います。
これまでの人生を生きてきた自分の性格を変えるというのは、そんなに簡単なことではないでしょう。
長い時間がかかることもあります。しかし、直せないということは絶対になく、意識して生きていれば必ず変わることができるのです。人は、そのために生きているのですから。
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