助け合う関係、支え合う関係、競い合う関係、憎しみ合う関係、傷つけ合う関係、あるいは、見守り見守られる関係、憧れ憧れられる関係、頼り頼られる関係、助け助けられる関係、託し託される関係、永く深い関係、一時期であっても決して忘れ得ぬ関係等々、そこでくり広げられる人間模様は、良かれ悪しかれ、また大なり小なり「カルマを共有」するがゆえに、それに応じた時には濃く、時には薄く関わりが生じ、深い縁になったり、浅い縁となるなどの縁が生じます。
良いカルマはそのままでいいにしても、それが悪いカルマであれば、お互いが似たような罪、欠点が重なる部分を持っていて、言わば悪いカルマの共有者同士。そのため、自分の欠点に気づかず、お互いに我を通し合うためにぶつかり、その結果、争いや不満が生じて、トラブルや騒ぎが大きくなってしまうのです。
違う立場や関係の薄い人であれば、それほど腹も立たないことなのに、何かしら自分とカルマを共有する相手に限って心頭、「絶対に許せない」という激しい感情が湧いてきて、自分の感情を抑えられなくなる、ということもあるのです。
表面上は隠していても、必要以上に悲しみや怒りの感情を抑えられなくなるのは、それだけ似ているカルマを共有しているからで、それゆえ無意識に我を通そうとしてしまうのです。
第三者からすれば、「それほど傷つくことでもない」「怒るほどでもないのでは?」と思えることであっても、我が強く出てしまうので、自分ではコントロールできなくなる__それが気づきを遮り、自分のカルマを見落としてしまう “落とし穴” でもあるのです。
我を通す、我が強く出てしまう時こそ、そこに自分が改めるべき欠点、カルマが潜んでいます。
抑えきれないほど感情的になったり、激しい感情が収まらない時ほど、カルマが動いているのです。
ですから、そんな時には、ひとまず気持ちを落ち着け、相手のせいにするのではなく、「もしかしたら、これは自分のカルマ、欠点が浮き堀りになってきているのかもしれない」と自分の心に言い聞かせるようにすることによって、少しでも冷静さを取り戻すことが先決です。
冷静になってその内容をよく考えれば、その原点、源が何となく見えてくるでしょう。
そこで役立つのが、長い人生のさまざまな場面の中で得られる幅広い知識です。いろいろな人の意見や考え方をしっかり心の中に留め、「失敗して苦しむ人」や「かみ合わない会話をする人」等々を他人事として笑うのではなく、わが身の事として認識し、心新たに生き続けていれば、いかなる困難にも慌てず、恐れず、乗り越えられるはずです。
「問題は相手ではなく、あくまで自分の中にある」。その自分の欠点に気づいて、直せれば、スピリット(精神・魂)の改革が起きて、一つのカルマが解消できるのです。
例えば、自分の心の中に、相手に対する理解力が深まるための知識が増えれば、長年の「親子関係の不調和」が解消されたり、「憎しみ合っていた夫婦」が和解できたりと、自然に相手を許すことさえできるのです。
もちろん、それぞれにさまざまな事情や理由、言い分もあるでしょう。
ですが、自分の欠点に気づいて直した人たちは、誰もが同じように晴れ晴れとして、苦しみから解放され、一様にこう言います。
「アーッ、こんな簡単なことだったのか! こんなに心が幸せになるのに、ここに気づけなかったとは……」
「私は正しい! 絶対間違っていないと思っていたのに、今思うと、主人に大変なわがままをしていたのね」
「こんなに楽になれるなら、もっと早く、自分の内面に目を向けていたら良かった」
「うまくいかなかった原因は、相手が原因ではなくて、自分が関わっていた問題であった」と。
悩み苦しむには、必ず何らかの原因、訳があるはずです。
それは、「根本的な理由に気づいて理解するには、理解できるだけの知識が必要です。知識がないために、判断力が不足し、相手のことが理解ができない、それゆえ自分の欠点にも気づけない」ということなのです。
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