ひと口に「執着心」といっても、その内容は多岐に渡ります。すぐに思い浮かぶのは、お金への執着や、名声権力への執着。他にも恋愛や食べ物への執着に、究極的なところでは命そのものへの執着など……etc. 本当にさまざまな執着が存在します。
この例からもおわかりいただけるかと思いますが、執着とは欲望のことだということがわかります。
自分の希望通りに物事が進まず、それが悩みや苦しみとなり、やがて怒りや絶望感など、負のエネルギーへと転化されていってしまうのです。
仏教の世界では「三毒」という言葉があり、悪の根源的なもの、「欲・怒・愚」を指しているといわれます。仏道では「煩悩を捨てよ」と説きますが、つまるところ、筆頭に挙げられたこの「欲」を捨てることが、解脱への道だと教えているのですね。
でも、人間は誰しもそう簡単に執着(欲)を捨て去ることはできません。
例えば、生物の三大欲求を見てみましょう。
食欲を捨て去っては、生命を維持することはできませんし、性欲をなくして命を紡ぐことはできません。また、睡眠欲にいたっては、物理的に寝ないで過ごすことができないように体の仕組みがつくられています。
つまり私が言いたいことは、執着もバランスの問題であるということ。それが現実的に、この世の中を生きやすくしていくための方法であるとお伝えしたいのです。
もっと噛み砕いていえば、欲望を捨てられないことに「あぁ、私はダメな人間だ」などと落ち込んだりせずに、欲求が出てきてもそれをコントロールするバランス感覚を養うことが、執着に囚われずに悩みや苦しみから抜け出す方法なのです。
では、悩みの根源となる執着心は、どうやってバランスを取ればいいのでしょうか?
これまでにも書籍などで度々説明してまいりましたが、それは正しい知識と常識を身につけることが大切になってきます。
知識や常識を見つければ、自ずと物事を理解する力が高められます。
そしてその理解力があれば、自分を客観的に分析できるようになり、強すぎる自我や欲望を平均化することが可能となります。
つまり、理性でもって執着心を緩和させ、バランスが取れるようになるのです。
人は自分の現在地を見失うと、今の居場所にしがみつこうとしてもがき苦しみます。
でも、知識や常識などの教養と呼ばれるものを備えていれば、余計な執着心を捨てて、ありのままの自分で日々の生活を送ることができるようになります。
執着心というものは、端的にいってしまえば、「失うことを恐れる心」だと思います。
諸行無常という言葉がある通り、この世はとても儚く、常に変化の連続です。
執着心はこの流れに逆らう感情ですから、それに囚われてしまうと悩みや苦しみが溢れ出してしまい、より一層の不安に落ち込んでしまうのです。
ひとつ、例を挙げてみましょう。
よく世間で聞かれる、復縁。これもまさに執着心が原因となっています。
別れた相手と復縁し、また別れる。これを一概に良くないことだとは思いませんが、停滞してしまっていることは否めません。人生にはたくさんの出会いが溢れているのに、ひとつの居場所に執着してしまって、前に進めていないのではないでしょうか。
私たちの魂は連続したものですが、今の世は一度きりです。もっと前向きに生きていかなくてはなりません。
もちろん、前向きに生きていくことには困難が伴います。人生という道を歩いていれば、時には坂道もあるでしょうし、険しい崖が行く手を阻むことだってあります。
でも、その度に、努力して壁を乗り越えていく。人生は修行の場であるということを、忘れてはならないのです。
でも、執着心に囚われすぎると、同じ場所にとどまることになってしまい、前に進むことができません。これは修行を行わないということになり、この世に生まれてきた目的を果たすことができなくなってしまいます。
執着心から抜け出す修行は、個々人のカルマの解消とは違い、すべての人が等しく向き合わなくてはいけない問題です。
これは決して簡単な道のりではありませんが、執着心とバランスが取れるようになってくると、その分だけ身軽に動けるようになり、随分と生きていく上での苦労が少なくなっていきます。
教養を備える努力をし、ありのままの自分で過度に飾らないこと。これを忘れずに常日頃から心掛けていれば、気がついたときには執着心が緩和された自分を発見することができるはずです。
それにしても、人の一生とは険しいものです。
ただ、漫然と時を過ごしては充実した人生を歩むことができず、常に壁を越えていく努力が必要とされます。でも、人間は弱い生き物ですから、心挫け、途方に暮れてしまうことだってあります。
私自身、この仕事が嫌で嫌で仕方がなかった時期がありました。投げ出したくなったことだってありますし、「今はもう辛くない」といえば嘘になります。そんなときに逃げ出してしまうことは簡単ですし、そうしようと思えばいつだってできてしまいます。
でも、私はそうはしてきませんでした。それは、「この世は修行の場」という信念が私の中にあるからです。神から与えられた使命を果たすため、強い気持ちをもって人生を歩んでいきたいと思っています。
ですから、皆さんもご苦労が多いことと思いますが、失うことを恐れず、前向きに生きていっていただければと、願ってやまないのです。
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