青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

真実の愛

「愛」

 

この言葉を聞いて、あなたは何をイメージするでしょうか?

 

子ども、夫、妻、親、兄弟、恋人……誰か特定の人との情愛を思い浮かべた人もいるかもしれませんね。

 

しかし、他者というのはあくまで「愛情の対象」であって愛という言葉が示すもののうちのひとつでしかありません。もちろん愛する人との関係は人生に多大な影響を及ぼす大切なことです。神様の視点からすると、愛という言葉はより広く、深い意味を持って私たちの人生に接触してきます。

 

愛の法則を見極めるにあたり、まずは愛そのものについて、今まで生きてきた人々がどうとらえてきたのかを見てみましょう。

 

辞書で愛という言葉をひくと、どれもおおむね次のような内容が出てきます。

 

・親子や兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち

 

・異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋

 

・ある物事を好み、大切に思う気持ち

 

・個人的な感情を超越した、幸せを願う深く暖かい心

 

キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむことで、いわゆる「アガペー」の概念

 

・仏教で、自我の欲望に根ざし解脱を妨げるもの

 

(デジタル大辞林より)

 

このように日本の辞書ではキリスト教と仏教を引き合いに出しています。

 

愛についての教えをもっとも強く打ち出している宗教のひとつがキリスト教であり、「汝の隣人を愛せよ」などという言葉に代表されるように、聖書にも愛という言葉が幾度も登場します。現代における“愛とは人を大切にすること、思いやること”というような考えも、特定の宗教でいえばキリスト教の影響を強く受けている発想と言えます。

 

では、日本で昔から信仰されてきた仏教の世界ではどうかといえば、先ほどの辞書の内容からも分かる通り、実は愛という言葉はどちらかというと否定的な意味を持っています。

 

キリスト教の布教が始まる以前の日本では仏教の考え方が根づいていたため、愛という言葉に対し多くの人が否定的な印象を持っていたようです。だからキリスト教の宣教師たちは、「アガペーキリスト教における愛)」の翻訳を、「大切」「思い」などと訳していたと言います。

 

仏教では、愛とは欲望のひとつであり、煩悩として捉えられています。

 

仏典『法句経』には「愛より憂いが生まれ、愛より恐れが生まれる。愛を離れれば人に憂いはなくなるのだから何も恐れることはない」というような意味の文言が書かれています。

 

愛する存在がいることで生まれる、その存在に愛されたいという欲求……その存在を失うことへの恐怖……それらが人生にとっての大きな憂いであると仏教は教えているのです。

 

このように考えてみますと、「愛という言葉は、時代や立場によってさまざまに定義されている不確定なものである」と考えられるのではないでしょうか。

 

愛というものは世の中にこれといった定義がないものである以上、愛については自分でその意味を見つけるしかないように思います。愛という言葉が何を意味しているか、みなさんにお伝えしたいと思います。

 

私は透視能力者として、神との会話の中で、それによる気づきをもたらすことをお役目としてきたわけですが、常に感じているのは、神はあらゆる人に分け隔てなく愛を注いでくださっているということです。

 

私のもとに来られる相談者の方々も、「愛してもらえない」「愛することができなくなった」などと愛に関する悩みが尽きないようですが、視点を現世から霊界に移せば、実は愛とはどんな人に対しても常に注がれているもの。

 

より具体的に言うなら、みなさんを守護してくださっている神様やご先祖様の霊から、いかなるときも惜しみない愛が送られてきています。

 

しかし多くの人がそれを受け止めることができずに、愛憎に悩んでしまいます。

 

なぜ受け止めることができないかというと、性格の欠点を直すというカルマの修業をしていないために心が汚れてしまっているからです。

 

心の汚れが多ければ多いほど、自分が信じている神やご先祖がいくら守ろうとしても、守りきれないこともあります。

 

だからせっかく神が援助の手を差し伸べ、迷いから救ってくださろうとしていても、その兆候や気配に「気づく」ことができず、カルマにまみれた自分の中だけで愛を考え、悩みから脱却できるきっかけをつかめずにいるのです。

 

逆に、心を清め、魂を磨けば(悪いカルマの解消)、愛が常にそこにあるということを理解でき、感じることができるようになってきます。

 

そうすると自然に、家族はもちろん、周囲の人たちにも愛を分け与えたいという気持ちが湧き、情を込めて人に接することができるようになります。そしてその結果として人から信用され、幸せになっていくのではないでしょうか。

 

これが、人生がよりよくなる「大きな愛」という発想です。

 

「心を清め魂を磨く」などと書くと難しそうに思われるかもしれませんが、人を思いやり、節度をもって行動するなど、人として大切なことを全うしていけば大丈夫です。

 

どうでしょう、みなさんは愛と言う言葉に「愛されたい」「愛が欲しい」と自分の立場からの意味ばかりつけてはいませんか?

 

愛について考えたとき、相手の立場や状況を考えずに“自分だけの欲望”に偏っている自分に気づかなければいけないのです。

 

 

 

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