人間関係の悩みで相談に来られる方は非常に多く、人間関係をこじらせてしまう原因になっているのは、基本的には自己中心的(我が強い)、プライドが必要以上に高い、責任感がない、といった性格です。
もちろんそれぞれの性格の強さには個人差があります。自覚している人もいれば、無自覚な人もいます。自覚している人はその性格を直そうと前進しようとするので、成長できます。
しかし、まったく無自覚でいる人は、まさか自分にそんな性格があるだなんて夢にも思っていないため、本人は気づいていませんが成長がずっと止まったままなのです。
人が成長するということは、世の中のことを知っていくということです。
それは学校で習う勉強以外にも、人間とは? 人間関係とは? などといった抽象的な知識までをも含んだ、すべてです。
もちろん、私たち人間の記憶力には限りがありますから、すべての知識を得ることはできませんが、より多くを学ぼうとすることはできるわけです。
この学びを経て私たちは成長していくのですが、無自覚な人は勉強などのひとりでもできるものに関する知識は得ようとしますが、性格が邪魔をしてしまって、人から学ぶことができません。
主観的に世界をとらえてしまっているので、気づかないうちに怒りの感情が発生して攻撃的になってしまい、相手の話を理解しようとしないのです。
この性格は実にやっかいなもので、少なからずすべての人が程度の差はあれど、持っているのではないかと思います。要は、そういう自分に潜む性格の欠点に対していかに早く気づき、コントロールできるかどうかの違いなのです。
因果の法則で考えれば、人との間に摩擦が起きているのならば、必ず何か原因があります。
どちらか一方がすべて悪いということではなくお互いに原因を持っているということで、つまりは悪いカルマの接触なのです。ふたりそれぞれがこれまで生きてきた中で間違った選択をしてきた結果、ふたりの運命の歯車が接触し、怒りで反発し合っているのです。
その現実を受け止めない限り、いつまでも自己中心的でプライドが高く、責任感のない自分をコントロールすることができないので、人と摩擦しては別れ、摩擦しては別れ、といった人生を繰り返してしまいます。
こうした経験から学ぶことは、「人は信じられない」「信じられるのは自分だけ」「いつも相手が悪い」といったような、ますます “人と対立する” ための知識です。強すぎる自我が判断力を奪い、間違った知識を「正しい」と思い込んでしまうのです。
ややもすると、どんな人でもこうした過ちを犯してしまう可能性があります。「自分は大丈夫」と思ったときこそ “自分” を疑い、内省してみるとよいでしょう。過ちこそ、気づきのチャンスなのです。
そのようにいつも自分を内省していれば、人から多くのことを学べるようになります。
人から学べるようになるとその連鎖はどんどんつながっていきますから、蜘蛛の巣の上を自在に行き来する蜘蛛のように、さまざまな人から知恵をいただくことができるようになるのです。
人は人から学び、人に成長させてもらいます。これをきちんと理解している人たちは、どんどんそのつながりを広げていくことができます。
人は同じような感性、感覚、知識を持った人と一緒にいたいと思うものなので、出会う人も同じ枠の中で出会う場合がとても多く、理想とする人間関係があるのなら、それを実現できるように日々、自分が成長していかなければいけないのです。
そのように成長を続けていると、見ている人はきちんと見てくれているので、手を差し伸べてひょいっと上に引き上げてくれたりします。
そのようにして成長を続けていくと、何も望まなくとも人が幸福を運んできてくれるようになります。
なぜなら、「自分のためだけではなく、相手のために何かしてあげることこそが幸福なのだ」と、周りの人みんなが思っているからです。よい循環はよい結果を招くのです。
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