生きている人にとって「死」とは、自分とは遠いところの出来事と思ってしまいますが、では、死が目前に迫っている人の場合はどうでしょうか。
たとえば、私の知人に、こんな方がいました。
その方は末期ガンを患っていたのですが、それを知ってもなお、平常心を保ち続けていたのです。
さらにそれだけではなく、自分の葬儀会場となるであろう場所を家族と一緒に訪れ、実際の葬儀のときにはこんなふうにしてもらえないかと伝えたり、また、仏壇はすでにあるから、自分が亡くなったからといって新たに買う必要はないよなど、あとに残す家族の負担にならないようにと、さまざまなことに気を配られました。
そして、すべての手配が終わったのちに、静かにあの世へと旅立っていかれたのです。私は心の中で、その方の心中を察するには余りあるものを、痛感いたしました。
また、長い間、病気で床に伏せってから亡くなる場合、その間に生への執着を捨てる訓練をし、この世を離れる心の準備をされる方もいらっしゃいます。
いろいろな経験を積みながらきちんと生きてこられた方は、この世を終えるときにも、不安はあってもそれほど怖くはないのです。年齢を重ねるとともに、そういった心構えができてくるのも、自然の理といえるでしょう。
とはいえ、はっきり申し上げるなら、そのように心穏やかに死を受け入れられる方ばかりとは限りません。
なかには、人生というレールの上で命を運んできた列車が、もうすぐ終点に着いてしまう、もう、いやでも受け入れざるを得ない、といった切羽詰まった心境で死を迎える方もいらっしゃいます。
いずれにせよ、そのような「死」に際して、心の支えとして大きな力となるものは、やはり知識や教養といえます。
たとえば、「死」というのは自分という存在が消えてなくなることではなく、「魂の故郷である、あの世に帰ること」なのだということや、「人は輪廻転生をくり返す存在で、肉体はなくなっても魂は生き残り、また再び、この世に戻ってくる」といったようなことがわかっていれば、死に対する恐れは確実に薄れていくのではないでしょうか。
もちろん、現実問題としては大変難しいことです。しかし、いずれ必ず訪れる自分の死に対する心の準備のために、前述したことを覚えておいていただきたいのです。
その一方、死者を見送る側の家族のほうはどうでしょうか。
ここでもやはり、知識や教養、正しい判断力というものが重要になります。
たとえ肉体は滅んだとしても、故人の魂は生き続けていくんだ、ということがわかっていれば、どんなに心強く生きていけるでしょうか。輪廻転生によって、たとえば自分の孫として生まれてくるなど、もう一度、自分の家族になるとしたならば、どんなに慰めになるでしょうか。
とはいえ、大事な家族が亡くなった際には、幾日も泣き暮らし、少し落ちついたあとも、故人の思い出がよみがえってくるたびに胸がふさがり、自然と涙が込み上げてくることもあるでしょう。それは、私も人間としてよく理解できることです。
しかし、どんなに悲しんでも、亡くなった人が生き返ることはないのです。
身近な人の死を徐々に受け入れていく際にも、カルマや死、輪廻転生などといった知識を正しく得ることで、苦しみも少しずつ解き放たれていくのです。
「死」とは終わりではなく、人生においてのひとつのプロセスです。人間の魂は永遠不滅であることを深く理解していただければ、大変うれしく思います。
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