離婚の悩みで私のもとを訪れる人は、本当にたくさんいらっしゃいます。
結婚する相手とは、カルマのご縁で結ばれていますが、このカルマの種類は実に様々で、前世で受けた恩を返すために結ばれるご縁、難病で生まれる子どもの親となり、共に力を合わせて乗り越えるために結ばれるご縁、前世での貸し借りを清算するために結ばれるご縁、前世の憎しみのあだ討ちをするために出会うご縁など、千差万別です。
時には、前世で思い残しがあり、それを果たしたのちに別れるようなご縁、添い遂げられないカルマのご縁というものもあります。
つまり、離婚すること自体をお互いにひとつの修行として選び、今の人生で出会って結婚するカップルもいるわけです。
その一方、せっかく赤い糸のご縁を得て結婚しても、どちらかのわがままなどで1年も経たないうちにあっけなく離婚に至ってしまうカップルもいます。
いずれにせよ、結婚はゴールではなくスタート。
カルマを共有するがための、まさに新たな出会い(お互いの家族も含めて)なのです。
結婚生活を継続させていくためには、絶えずお互いが自分の振る舞いや言葉を省み、良くないところに気づいて直す、といったことを心がける必要があります。
腹立たしい経験から学んだり、つらい出来事を体験する中で思いやりや愛情を培ったりしながら生きていくわけで、まさに人生は修行。「天国地獄はあの世ではなく、この世にある」のです。
以前、離婚のご相談で、このようなものがありました。いらっしゃったのは、10歳のお子さんがいる40代の女性です。
「結婚して14年になります。先日、子宮ガンが見つかり、そのことを夫に話したところ、それならお前と離婚する、と言われてしまいました」
そこまで聞いた私は、顔にこそ出しませんでしたが、内心、とても驚いてしまいました。青森地方ではこういうときに「ドッテンコイデシマッタ!」(“本当に驚いた!なんということだ!” という意味の方言。ただ、今の若い人はほとんど使わないでしょう)と言うのですが、そんなショックが冷めやらぬ間に、彼女は続けて、
「だから、離婚しようと思っています」
と言うのです。私は、あまりに離婚を簡単に考えている彼女の顔を一度しっかり見てから気を取り直し、拝殿に向かって手を合わせました。
すると、神様が視せてくれたのは、ご主人の言うことをまったく聞かない彼女の傲慢な姿。誰に対しても「私が、私が」と自分のことしか考えず、トラブルメーカーとしてご主人のみならず、ご近所や義父母にも迷惑をかけている彼女の姿です。
ご主人のほうはといえば、彼女との生活に疲れ切っている姿が視えました。今回は、たまたま奥さんのガンの告知とタイミングがあっただけで、離婚はかなり前から考えていたこと。ご主人にとって苦渋の選択でありながらも、その決意には揺るぎないものがあることが分かりました。
このようなとき私は、相談者の欠点を言って気づいてもらい、その人を助けなければならない自分自身の人生に、しみじみと「自分のカルマとは一体……」と深いため息が出る思いがするのです。
しかし、これは私に与えられた任務のひとつです。
そう思って、私は意を決し、ご主人の気持ちを彼女に告げました。すると、彼女の顔からみるみる血の気が引いていきました。彼女は、ご主人のことを甘く見ていたのです。ガンになった私を捨てて離婚するなどできるはずがない、子どもを手放すはずがない、と高をくくっていたのです。
ご主人の固い離婚の決意を知った彼女は、うめくような大声を上げてその場に泣き崩れましたが、ご主人の堪忍袋の緒が切れてしまった今となっては、もはや手遅れです。
また、お姑さんが息子夫婦の離婚の相談でお見えになったこともあります。そのお姑さんは60代後半。柔和な表情の彼女の口からは、
「長男の嫁は無口で頼りないから、なんとか離婚させたいんです。それがうまくいったら、長男にはしっかり者のお嫁さんを後添えとして迎えたいと思っています」
という信じられない話が語られたのです。私は神様に尋ね、そして、
「お嫁さんは一時は精神バランスを崩したことがあったようですが、今はよくなっていますよ。それに、炊事でも掃除でも、あなたの言うことはみんなよく聞き、素直な気持ちであなたの思い通りにやっているはずです」
と言うと、
「聞くことは聞きますけれど、しゃべらないのが気にくわないんです。長男の嫁としてあれでは不安なので、家から出したいんです。それが長男のためだと思って私はここまで相談に来たんです」
とおっしゃいます。そこで私が、
「あなたは普段、すぐにヒステリックになりますね。そして、人にもすぐ飽きてしまう方のように視えます。あなたにも、あなたの家族にとっても、宝のようなお嫁さんですよ」
と、神様からのアドバイスを伝えたところ、先ほどまでの彼女の優しい顔がみるみるうちに豹変し、持っていた自分のバッグを一度、床に叩きつけてから、
「あなたまで私が悪いって言うの!?」
と、天上まで届くような金切り声をあげたのです。
そばにいたご主人はそれまで奥さんをなだめていましたが、あまりの怒声にたまらず、
「お前、もうバカなことは言うな! お前が何を言うのか心配だから、俺はここまでついて来たんだぞ」
と、奥さんを怒鳴りつけ、やがて、今までの事の成り行きを語ってくれました。
「長男の嫁は愛想はありませんが、口答えひとつしないおとなしい嫁です。長男との夫婦仲も問題なく、3人の子どももきちっと育ててくれています。なのに、うちの妻は離婚させると言い出して。いつも言い出したら聞かないので、今日は心配になってついて来たんです。
長男とは、ここに来る前にふたりで話し合いました。青森の神様に注意されてもお母さんの気持ちが変わらないようなら、お前たち家族はこの家を出て暮らせ、と話してきたのです」
私は、彼女を救うことができなかった虚しさなど、様々な思いが頭の中をよぎり、胸を締めつけられる思いのまま、その日一日を過ごしました。私が神様に仕えるお役目をする中でいちばん落ち込むのは、こういったご相談を受けるときです。
このお姑さんは、いわば自分が背負ったカルマに翻弄され、さらに罪に罪を重ねているわけですが、やがてこの方が巡るであろう寂しい人生を思うと、カルマの業の恐ろしさというものを改めて考えざるを得ませんでした。
このような例からも分かるように、離婚というのは、結婚相手のみならず、舅姑、子ども、ご主人や奥さんの親族などが絡んで起こることもありますから、カルマというのは本当に厄介なものであり、また、大切なものと思います。もちろん、ここまで挙げた例は悪いほうのカルマですが、暖かいほんのりとしたうれしいカルマもあります。
また、中にはその方自体は純粋な気持ちで結婚をし、結婚生活を続ける努力を重ね、忍耐をしたにも関わらず、夫や妻が浮気をしたり暴力をふるったり、結婚生活にそぐわない言動、自己中心的な物の考え方などが原因で、止むなく離婚に踏み切る方もいます。
そのような人は時として、離婚したことで、まるで自分が罪を犯したように感じたり、あるいは、引け目を感じることもあるようですが、私は、そのように思う必要は一切ないと思っています。
離婚は、上辺だけを取り繕ったり、知識不足では乗り越えることはできません。幅広い知識を収得し、正しい判断力を働かせて、人生を前向きに歩んでいって欲しいものです。
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