〝聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥〟は、みなさんもご存知の通りの諺です。古くから伝わる言葉には、学ぶべき知識がたくさん込められております。
長い年月をかけて、人々が経験してきたことに基づいて伝え残してきたものですから、それだけ私たち人間にとって、たいへん学ぶべきことが多いものになっているのです。
さて、この〝聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥〟という言葉は、「自分が知らないということを恥じとして人に聞かないままでいては、その後の人生においても物事を知ることができず、かえって恥を抱えたままになる」という意味を持っていることはどなたでも知っていることでしょう。
こうして書いてみると、なにやら仰々しく感じてしまいますが、要は「知らないということを恥ずかしがって黙っているより、人に尋ねて覚えてしまったほうが、後々のことを考えると大切ですよ」という教えです。非常にシンプルな考えですが、私たちは物事をしっかりと知る必要性があるということを痛感するのではないでしょうか。
今回は、この〝わかったふり〟がキーワードになります。これは、誰しもが、知らず知らずのうちに犯してしまう過ちなのではないでしょうか。
〝わかったふり〟と〝知ったかぶり〟。ほぼ同じ意味を持つこのふたつの言葉ですが、ここではそれをさらに掘り下げ、〝わかったふり〟をしているとどんなことが起きてしまうのか、また知識というものがいったいどういうもので、私たちに何をもたらしてくれるのか、考察していきます。
前述のとおり、〝知ったかぶり〟、つまり〝わかったふり〟はすぐに見破られてしまうものです。これを見透かされてしまった際に、私たちは多くのものを失うことになるのですが、なかなかそのことを自覚することができません。
例えば仕事上において、〝わかったふり〟をしてしまうと、直接的に大きなダメージを与えてしまう可能性が出てきます。間違ったことをしてしまうのでそれは当然のことです。また、〝わかったふり〟は結果として相手に嘘をつくことになりますので、信用さえも失うことになりかねません。
みなさんもご存知のように、信用というものは非常に脆いものです。ひとたび信用を失ってしまうと、これまでに積み上げてきたものは壊れ果て、なかなか元に戻すことが難しいものなのです。
それゆえに、豊富な経験を持つ人であればあるほど、〝わかったふり〟が与える怖さを身に染みて自覚しており、相手に「私はそれを知りません」と伝えることに抵抗を持ったりはしないものです。
それをわかりやすく説明するために、あなたがパソコンを買いに家電量販店を訪れたと仮定しましょう。
そのお店には、〝わかったふり〟をする店員Aと、〝わかったふり〟をしない店員Bのふたりのスタッフがいたとします。Aはあなたの要望を聞くこともそこそこに、次々と製品の説明をしていきます。かたや、Bはあまり説明しませんが、あなたが何を求めているのかを把握しようと、注意深く、こちらの話に耳を傾けています。
あなたであれば、AとB、どちらの店員からパソコンを購入したいですか?
私であれば、迷わずBを選択します。Aはお客さんの話を聞いていないので、どのようなパソコンがほしいのか、つまりニーズという名の知識(情報)を手にしていません。Aのしていることは、自身の販売したいものや、それぞれの製品をただ説明しているに過ぎないのです。
一方のBは、初めにお客さんの話を聞いて何を求めているのかを把握していますので、ニーズ(知識)がわかっています。さらに、お客さんとコミュニケーションをとったことにより、信用を手に入れます。
このように、相手を知ろうとする姿勢を持つ店員のほうが、顧客のニーズ(知識)と信用を持っていますので、ふたりの売り上げに大きな差が生じることは、目に見えています。
この例え話からもわかるように、謙虚に知らないことを認めたほうが、結果として多くのものを手にすることができるのですが、たいていの場合、余計なプライドが邪魔をしてしまったり、早合点をしてしまうため、なかなかその壁を越えることができません。しかし、これを超えなくては、私たち人間は成長したり、成功を手に入れることは難しいのです。
また、日本では、間違いや失敗を恥と考えがちな特異な文化も幾分あるように感じています。世界に目を移してみると、たとえ回答を間違ってしまったとしても、誤った点を正して、チャレンジを促すような教育方針を進んで取り入れていると聞きます。この点が、世界と日本の間の差異になることもあるのではないでしょうか。
人と違う答えを出すことは悪ではありません。ただし、自己中心的な言葉ではなく、相手との〝会話〟をよく意識する必要があります。感情論だけを相手にぶつけるのは、これは会話ではなく〝独り言〟と同じだと私は考えています。両者の意見が食い違っていたり、いずれかが間違っていたとしても、それはいっこうに構わないのです。最も大切なのは、〝わかったふり〟をして一方的にまくしたてたり、己の言葉を省みることができないのが問題なのです。そこに気がつけば、過ちから学び、次に生かしていくことができるようになるのです。
例えば、英語がそれほど得意ではない方が海外旅行に行ったとしましょう。渡航先で現地の人と話すと、知らない単語がたくさん出てきたり、相手の話すスピードが速くて聞き取ることができなかったりということは往々にしてあるものです。
こういったときに、「うん、うん」と曖昧なまま相づちを打ってしまうことは正しい選択ではありません。これでは誤解を招く原因になる場合もありますし、学ぶ機会を自ら逃してしまっているようなものです。
知識をどんどん貯えて、人としての成長を果たしていく人は、恥ずかしがったり、必要以上に遠慮はしません。無用なプライドは張らずに、人に通訳を頼んでみたり、ゆっくり話すようにお願いしたりと、何かしらの打開策を探し、実行するように思います。それこそ、絵に描いてもらっても構わないのではないでしょうか。
知識とは、向こうから勝手にやってくるものではありません。学ぶ機会はすべての人に等しくあるのですから、自らの意識で知識を手に入れる努力をしなくてはならないのです。
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