「仕事をする」ということを、私たちは “慣れ” の日々の中で、「朝起きて会社へ行く」。
そう、当たり前のことであると考えている方も多いかと思います。
その “当たり前”という意識によって仕事にも慣れ、職場の人たちともマンネリ化と共に気が緩んでくると、
「会社へ行くことは束縛されること」
「1ヶ月ぶんの給料をいただくことは、自分の時間と交換すること」
といった気持ちが、だんだんと遠ざかっていくのではないでしょうか。
私たちは仕事に対して、
「与えられた業務は完璧にやっているから」
とか、
「1ヶ月働いていれば給料日」
と、そういったことは考えても、働ける職場に対して “当たり前” という意識が強くなり、“感謝の心” が薄れていないでしょうか?
それゆえ、同僚たちとの関係性が慣れの中でそれぞれの人間が持つ性質を隠すこともなく、表に出るようになってきていないでしょうか?
こうしたことは、どんな職場でも、どんな人にでも起こることです。
それぞれの人が、それぞれの連鎖(見えない家の中で代々受け継がれる連鎖)の中で生きてきたことに加えて、職場では “個々のカルマ” が良きにつけ悪しきにつけ否応なく人間関係に表れ、恋愛関係、憎しみ合う関係、恨み合う関係、罵り合う関係などが日常茶飯事の如く、時には大きな物音をたて、時には音もたてずに陰湿に近づき、人を苦しめます。
こうしたことは、カルマや連鎖に気づけぬゆえに起きている出来事です。
感情の赴くままに、感情を抑えることも、コントロールすることもしない……。それは、“自由気ままな過去世からのカルマの現状維持” そのものなのです。
そういう人たちの人生を見つめていると、どこかで “心が悲しむ出来事” や “心が苦しむ出来事” に出会っています。
しかし、当の本人たちは、
“その悲しみや苦しみがどこからきているのか?”
そのことを考えもせず、自分自身を見つめることができない人が多いように思います。
つまり “天国、地獄はこの世にあり” で、自分の身が業火に焼かれるが如き、苦しい思いなどに気づかず、反省もしないのです。
この世での苦しみには、大なり小なり前兆の試練があります。
その “前兆である試練” が訪れたとき、
「なぜ?」
と考え、気がつけばよいのですが、なかなか気づけないのがカルマです。
カルマは、“その人個人の過去世の行い” であると共に、その性質と連鎖によって、“現世においても新たなカルマを作る” こともあります。
対して連鎖とは、先祖代々続く習わしが家の中で息づいてきたことです。連鎖は気づけば、カルマよりも直しやすい(断ち切りやすい)のです。
カルマは良いことも悪いことも、その人個人が持って生まれてくる性質の中に存在し、人との接触の中で働いたり、自身の運命の中で働いたりします。
悲しいことに、自殺や病死、事故死などもそのひとつである場合が多く見られます。
とはいえ、
「自分のカルマだから」
と言って自殺をしてしまうのは、来世の人生にカルマを持ち越すことにもなるので、気持ちをしっかりと持たなければいけません。
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