過去のブログでもお話ししましたとおり〝人は人のことを見ている〟ものです。気がつかぬうちに見られているということは、確かに気分のいいものではありません。しかし、だからといって、「私のことは見ないで! 」と言ってまわれるものでもありません。もし、本当にそんなことを言ってしまっては、周囲からは奇異の目で見られること必定です(笑)。
世間とはそういうものであるということを受け入れて、見られているということを自覚して生活するのが、現実的な方法だと思います。
しかし、世間には「他人の目なんか気にしない! 」とばかりに過ごしている方がいらっしゃいます。人の目など気にしない自由奔放な生き方というものに憧れる気持ちもわかります。しかし、はたしてそれで本当に良いのでしょうか?
人はひとりで生まれ、ひとりで生きているわけではありません。両親がいて、友人がいてと、人と人の関わりのなかで生きているのです。それなのに、自分のしたいようにしかしない生き方は、非常に自分勝手なものだと思います。
では現実に、人は人をどのように判断している(見ている)のでしょうか。多くの場合、それは会話をしているときなど、同じ空間を共有しているときに行われます。端的に言ってしまえば、その人の話し方ですとか、立ち居振る舞いなどから、相手の気持ちを読み取ろうとする過程で、その人となりを判断しているのです。
それは、なにも「この人間を判断しよう!」というような大げさなものではありません。相手が何を考えているのかを把握しようとする自然な視線のなかから、〝自ずと〟人の評価が定まっていくのです。そしてその評価の基準は、世間一般的な〝道理〟〝常識〟だったり、はたまた偏ったその人だけが持つ色眼鏡だったりします。
例えば、あなたの目の前で話し相手が腕を組んだらどう思われますか? 世間一般では、人の前で腕を組む動作は、あまり褒められたものではないと捉えられています。
心理学の世界においても、両腕を組む動作は、胸と腕の間に自分だけの空間を作り、自己防衛をしているためだと考えられています。人はそれぞれパーソナルスペースを持っていて、そこに入ってこようとするものを排除しようとするものですが、腕を組むという行動は、防御であったり、拒否感や緊張感の表れだと言われているのです。
また、最近の若い方に多く見られるのですが、話をしている最中に、何度も何度も前髪をいじる人がいます。これなどはいかがですか? 多くの方が、真剣に聞いているのか不安になるのではないでしょうか。事実、前髪をいじる動作は、上の空であったり、退屈を感じているサインとも言われるようです。
もちろん、これらの動作が必ずしも拒絶や退屈のシグナルというわけではなく、ケースバイケースで変わっていくものです。そもそも、腕を組んだり、髪をいじるのが悪いということをお伝えしたいわけでもありません。では、私が何を言いたいのかといいますと、人間は相手の行動から気持ちを汲み取るために、細かな所を含めて人の態度をよく見ているのだということです。そして、その態度の積み重ねが、やがてはあなたを判断する材料となり、評価されていくことを知っていただきたいのです。
所作や態度というものは、一歩間違えると自分自身を貶めることにつながるものだということがおわかりいただけたかと思います。なかでも、マナーや礼儀作法といったものについては、あなたの評価に直結します。
もうだいぶ以前のことになりますが、ある母娘が相談にいらっしゃったときのことです。娘さん(以下、Gさん)が敷居をまたがずに、踏んで部屋に入ってこられたのをチラと見ました。
若い方にしてみれば「なんだそんなことを」と思われるかもしれませんが、古来、敷居とは家の中を良い状態に保つための結界として考えられてきました。敷居を踏んではいけないということについては諸説ありますが、少なくとも礼儀作法にかなったものではありません。
結婚というものは当人のみならず、ふたつの異なる家庭がつながることです。そこには習慣や感覚の違いがありますから、なにかと摩擦が起きてしまうことも時にはあります。無駄な摩擦を起こさないためにも、きちんとした常識やきめ細やかな気配りが必要とされます。
敷居を踏んだそのことについては、作法上間違っているだけで、大きな問題があるわけではありません。しかし、他人の家に伺った際に、そういったことに思い至らないGさんのあり方が、将来への不安を感じさせたのです。そういった理由から、敷居を踏んではいけないことを彼女に伝えました。
相談が始まりますと、その内容はやはり、Gさんの結婚についてでした。当時、彼女は30代に入ったところで、一般的には結婚の適齢期を迎えていました。これまでにも結婚の話が持ち込まれることはあったようですが、なぜかいつも最終的には縁談話が流れてしまっていたそうです。
図らずとも、私の予感が当たりました。お母様に礼儀作法の教育をどのようにされてきたのか尋ねると、彼女は表情を曇らせ、うつむかれてしまいました。やはり、これまで礼儀作法についてはそれほど頓着をされていなかったのだと言います。
そこで、私はGさんに礼儀作法についてアドバイスを行うことにしました。しかし、相手は30代の成人女性です。頭ごなしに非難をするのではなく、「こうやって襖をあけると綺麗に見えますよ」ですとか、「食事の際にテーブルが汚れていたら、誰も気がつかぬうちにさっと拭くのがいい女性というものですよ」と教えてあげました。
正直な所、Gさんも内心では、「面倒だなぁ」と思っていたのではないでしょうか。礼儀作法というものは、慣れないうちは窮屈に感じるものです。それまで作法についてさほど気を使っていなかったGさんにしてみれば、それも当然な感情なのではないでしょうか。
しかし、こういった細かな癖というものは、一朝一夕に身につくものではありません。お母様にも、Gさんの所作で気になることがあったときには、その都度、丁寧に教えるようにとお伝えしました。
それから数年後のことです。懐かしいGさんからお便りをいただきました。そこには、「当初こそ堅苦しさを感じていた礼儀作法ですが、気がつけばそれも自然に身につき、今では子どもにも恵まれ、幸せな結婚生活を送っています」という内容が書かれておりました。その文面からも、熟成された大人の女性の品が漂っており、Gさんは自分を変えることができたのだなと、私も胸を撫で下ろしたものです。
礼儀作法というものは、生きていくうえで大切なものです。確かに些細なことであったりはしますが、そういうひとつひとつの積み重ねが、人の品格というものを形作り、ひいては人様からの評価へとつながっていくのです。ですから、箸の上げ下げまで口うるさく言ってしまうのも、子を思えばこそ。このブログを読んでいただいた方のなかには若い方もいらっしゃることでしょうし、親心というものをわかっていただけると、嬉しいです。
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