青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

すべての人が目撃者。 視線の海を生きる私たち

 人と話をしていますと、〝人は人のことを見ている〟と感じることがあります。

 

 例えば、ご近所さんが外壁の塗り替え工事をしていると、その近くに住まわれている方が、「あそこの家はまだ建て替えて5年くらいだけど、西側の壁が少しだけ剥がれてましたからね。建て替えのときも、外国人の職人さんが入っていたから……」なんていう話はよくあることではないでしょうか。

 

 私としては、「よく見てるなあ」と感じるくらいなのですが、意外とこの〝見られている〟ことに心を砕いている方は大勢いらっしゃいます。俗に言う、〝世間の目〟というものに対する恐れだと思います。

 

 この〝人は人のことを見ている〟ということを念頭に、世間の目とは何か。また、どのように対処していくべきなのを考えてみたいと思います。

 

 まず最初に、人は人のことを見ているということに気がつけなかったあまりに、苦労をすることになってしまった女性のお話をさせていただきます。

 

 20代の後半のFさんは、地元を出て東京の大学に進学しました。そのまま都内で就職し、あまり地元に帰ることはありませんでした。就職氷河期になんとか職を手にすることができたものの、仕事は非常に忙しく、朝早く出勤しては日付の変わる頃に帰宅する毎日で、身も心もぼろぼろになっていったそうです。

 

 そんな生活を続けていたFさんですが、あるプロジェクトを無事に終わらせたときに、ふとこのままでいいのかと、疑問を感じてしまったと言います。

 

「仕事に追われ、趣味の映画鑑賞もできなければ、友達に会う時間もない。そろそろ結婚もしたいけど、今の状況では誰にも出会えないのでは……」

 

 そう不安を感じてしまったときに、これまでやりがいを感じてきた仕事が、急に色褪せたものになってしまったそうです。そこで、まずは体を休め、やりたかった仕事に就くための勉強をしようと、彼女は地元に帰る決断を下しました。

 

 約10年ぶりの実家では家族が心暖かく迎えてくれて、体を休めることができ、好きなことをして気持ちをリフレッシュすることもできたそうです。また、夢であったことを実現するための気合いも十分で、夜も遅くまで勉強に励むことができたと言います。

 

 そんな、充実した日々を過ごし、新しい生活にも慣れてきたある日——。Fさんのもとに、中学校の同窓会を知らせるハガキが届きました。10代の頃から長く都会で暮らしてきた彼女にとっては、級友たちに会う久しぶりの機会です。胸を踊らせながら、その同窓会に参加したそうなのですが、Fさんはそこであることに気がつき、ひどく傷つく結果になってしまいます。

 

 当初は楽しく過ごしていた級友たちとの再会を、暗くつらいものに変えてしまったのは、10数年ぶりに会った友人の言葉でした。

 

「Fちゃん、いっつも遅くまで起きてるね。私も仕事、やめちゃいたいな〜」

 

 この友達は特に悪気があったわけではないでしょう。でも、Fさんにとってはこれがとてもびっくりすることでした。特に親しい友人でもなかったのに、自分が仕事を退職して帰ってきたこと。さらに、招き入れたことがないのにも関わらず彼女の自室の位置を把握し、夜遅くまで起きていることを知っていることに、心底怖くなってしまったのです。

 

 帰宅後、幼なじみや両親に尋ねてみると、友人はもちろんのこと、近所の人たちまでが、彼女が仕事を辞めて帰郷していたことを知っていました。しかも、その噂のなかには、

「仕事を首になって、引きこもっているらしい」

「いい大人になっても、親のすねをかじっている」

「男に振られて、出戻ってきたって」

 

 などなど、尾ひれのついた噂もあったそうです。もちろん、実際はそうではありません。退職したのは事実ですが、それは夢に向かって環境を整えるためであり、実家にも貯金から毎月の食費を入れていました。

 

 しかし、実家に帰ってきて、家で遅くまで起きているということで、地元の人々の噂の対象になっていたのです。このことをきっかけに、Fさんは「人は他人のことを思いのほか見ているのだ」ということに気がつき、周りの人々の視線が怖くなってしまいました。いわゆる、対人恐怖症を発症してしまったのです。

 

 その後、今ではFさんも対人恐怖症を克服し、今では資格試験にも合格。学生の頃の夢を実現し、都会で暮らしています。でも、やはり人の目が怖くなってしまうこともあるそうで、なるべく目立たないようにしたいと言っています。

 

 実際のところ、人が人のことを見ているのはまぎれもない事実です。本当に、よくそんなことを知っているなと感心してしまうこともしばしばあります。でも、元来、人間というものはそういうものです。何かと周囲の人が気になってしまうのは不安の表れで、仕方のないことなのかもしれません。

 

 Fさんの場合、学生の頃から地元を離れ、就職してからの忙しさのあまりに、〝人は人のことを見ている〟という事実に気がつくことができませんでした。そして、あるとき急に〝世間の目〟というものに晒されて傷つき、心の病を発症することになってしまったのです。

 

 しかし、少し酷な言い方ではありますが、彼女にもその責任の一端があるように思います。むろん、それは帰郷したことでも、夜遅くまで起きていたことでもありません。

 

 一般的には、大人になっていく段階で、人は〝世間の目〟の存在を認識していくものです。多忙であったこともありますが、彼女がそのことに思い至るのがあまりにも遅すぎた、つまり、大人になりきれていなかったということも、原因のひとつなのではないでしょうか。

 

〝人は人のことを見ている〟。これは、社会のなかで生きる私たちにとって逃げる術のないものです。ご近所付き合いなどのトラブルを伺っていても、この〝世間の目〟というものを意識しなかったばかりに、無用な問題を抱えてしまうことが多いように思います。

 

 私たちは人と人がつながることで構築された社会の中で生きていますので、好むとも好まざるとも、世間にはそういうものがあるのだと自覚して、日々を過ごす必要があります。その覚悟をもっていないと、ある日突然に他人の視線というものに気がつき、Fさんのようにパニックに陥ってしまったりする可能性が出てきます。

 

 また、〝世間の目〟以外にも、私たちが心に留めておかなければならないことがあります。

 

 それは、自分の見ている世界と他人の見ている世界は違うのだという事実です。Fさんのケースを見ても、退職して帰ってきたと受け取る人もいれば、親のすねを嚙る引きこもりなのだと見る人もいます。たとえそこに悪意がなかったとしても、人によって見え方は変わっていくものです。つまり、見る角度や、立場、関係性によって、物事はいかようにも捉えられるのだと思います。

 

 例えばこんな話があります。Aさんはコップを見て、円筒形だと言います。しかし、Bさんは長方形と言い、Cさんは円だと言います。

 

 みなさん、この違いはわかりますか?  算数の授業で習ったかと思いますが、これはそれぞれの人が、違う角度からコップを見ているために、見え方に違いができているのです。

 

 Aさんは、コップを斜めから見たので立体と把握しており、円筒形だと答えました。しかし、Bさんはコップを真横から見ていたので、それが円筒形をしているとはわからず、普通の長方形と判断しました。また、Cさんにしても、真上から見れば側面は見えませんので、それはただの丸に見えるのです。

 

 角度によって見え方が変わってくるのだということを示す例えとして、よくできたお話です。なぜならば、社会というものもまさにこのとおりだからです。その人の立場や見る角度によって、受け取り方が異なるのは当然です。

 

 例えば、友達と映画を見ても、それぞれ感想は違うものですよね。私たちはひとりひとりが違う人格を持っており、歩んできた道も同じではありません。当然、そこには差異が出てきて当たり前です。

 

 しかし、意外とこの事実を受け入れられない人が多いのがこの世の中です。みなさんの周りにもいらっしゃるはずですが、頑固に自分の意見を変えず、人の意見に耳を貸さない人がいます。これはひとえに、自分の視点が絶対だと固執するあまり、周りが見えなくなってしまっている状態なのです。

 

 誰だって自分の見たものを信じ、それが正しいと思うものですが、そればかりに囚われてしまうと、人間関係においてトラブルを招くことになってしまいます。

 

 ですから、私たちは世の中には〝世間の目〟というものが存在すること。そして、世の中を見る視点は自分のものが絶対ではなく、他にもたくさんのものの見方があるのだと、謙虚な心を忘れてはならないのです。それが、さまざまな視線が飛び交う世間を生きていくうえで、私たちを守るものになっていくのです。

 

 

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