今回のテーマは、「不幸せの原因とは?」です。
私たち人間が人生を歩んでいくうえでは、当然、いいことばかりではなく、理不尽であったり、納得のできない出来事に遭遇します。例えば、嫌な上司に巡り会ってしまったり、交通事故に会ったり……etc.
人はそういうとき、やりきれない思いを抱き、
「なぜ自分だけこんなにも不幸なんだ……何も悪いことなどしていないのに、神様は残酷だ……」
と嘆くこともあるでしょう。人間とはか弱い生き物ですから、心が弱っていたり、悪いことが重なってしまうと、何かのせいにしたくなるものです。自分ではどうすることもできない。また、何が理由なのかもわからないというのであれば、その思いは尚更です。
しかし、これまでにも何度もお伝えしてきましたとおり、我が身に起きることはいいことも悪いこともすべて、自分の行ってきた所業によってもたらされたものなのです。
こういうと必ず、
「自分は何も悪いことなどしてないぞ!」
とおっしゃる方がいらっしゃいますが、私のいう所業とは、なにも現世だけに限りません。今世で自分に訪れる出来事は、過去世の行いも含めて、自らの言動が引き起こしたものなのです。端的にいえば、“いい行いをすればいいカルマが訪れて幸せになり、悪い行いをしてしまうと悪いカルマによって不幸が訪れる”ということです。
自分の身に降りかかってきた不幸の原因は「自らの過去の行いが招いたもの」という事実を受け入れることは、なかなかできるものではありません。しかし、今現在、人がこの世に存在し生きているということは、過去世において罪を犯した(悪い行いをした)ことに他ならないのです。
つまり、輪廻転生から抜け出せていないことが、罪を犯している証拠となっているのです。もちろん、それは地球上に生きるすべての人にいえることで、私にしても過去の悪いカルマを解消するため、この使命を背負いながら人生を歩んでいるのです。
人というものは悲しい性質を持っているものです。誰か他人と自分を比べてしまい、「あの人ばかり幸せで……」とか、「自分だけ不幸だ……」と思いがちです。俗にいう、“隣の芝生は青い”というものですね。しかし、人はそれぞれが葛藤や苦しみなど、嘆きの感情を抱えながら必死に生きています。たとえ、他人からは幸せの絶頂にあるように見えても、それはあくまで外から見えている部分だけであり、その内面を覗き見ることも、伺い知ることもはできません。ですから、自分ばかりが不幸にあっているということなどありませんし、そもそも、神は無意味な不幸は私たち人間に与えたりなどはしないのです。
この事実を受け入れることができたのならば、“自分に非はない”とする考えが誤りであるということに気がつことができるはずです。「前世のことなど覚えてもいないのに……」という気持ちはよくわかりますし、そう思ってしまうことは無理のないことだと思います。しかし、だからといってそこに留まっていては、私たち人間は前に進むことはおろか、カルマを解消させることなど、夢のまた夢となってしまいます。
ですから、“今の不幸せは過去(過去世を含む)の罪(間違い)がもたらしたもの”ということを受け入れ、自らの欠点や誤りを正していかなくてはなりません。それこそがカルマの清算であり、人生をよりよいものへと変える鍵となるのです。
「人生は山あり谷あり」とはよく言ったもので、人間には不幸というものが訪れる瞬間が必ずあります。しかし、ちょっとものの見方を変えてみると、それは幸せを掴むためのヒントであることがわかります。「悪いことが起きたということは、翻せば自分に悪い所があるということ」つまり、不幸とは直すべき己の欠点に気がつく、大事なきっかけでもあるのです。
それがわかってしまえば、私たちのとる行動はただひとつです。謙虚にその事実を受け入れ、直す努力を厭わないこと。それが私たちの人生を明るいものにし、やがては子や孫へと引き継がれていくよいカルマとなっていくのです。
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