「でも」
「だって」
「〜のに」
あなたは、どのくらいの頻度で、これらの言葉を使っているでしょうか。楽しいおしゃべりの最中で、別に相手の言うことに対して反対の意見を持っていないときでも、ついつい無意識に「でもね」と言葉を継いではいませんか。
ある休日、私が旅行先で食事をしていると、隣のテーブルに若いカップルが座りました。デートの帰りのようで、テーブルにはパンフレットのようなものが置いてありました。聞くともなく隣の会話が耳に入ってきます。
最初は仲良く話をしていた二人でしたが、途中からだんだん険悪なムードになっていきました。どうも男性が女性に、食事中に携帯メールをするのは止めてほしいと頼んだことをきっかけに、口論が始まっているようでした。
男性は、「レストランで携帯電話をかちゃかちゃ弄っているのはマナー違反で、周りにも失礼だし、後にすればいいんじゃない」というようなことを言っているのですが、何か言われる度に、女性は「でも、すぐ済むし」とか、「だって、別に誰にも迷惑をかけてるわけじゃない」とか「そんなに大したことじゃないのに細かすぎる」などと言い訳を繰り返しながらメールを打っています。
男性は根気強く「それでも携帯は止めるべきだ」などと女性に訴えていましたが、女性は相手の言うことをはなからまったく理解しようとせずに、ずっとメールするのを止めようとはしませんでした。
最後には男性は腹を立てたまま早々に食事を済ませ、無言のまま席を立ちました。二人はレストランを出て行きましたが、私はその後ろ姿を見送りながら、少し淋しいものを感じてしまいました。せっかく楽しい休日を過ごすチャンスだというのに、ほんの少しの「気づき」が足りないせいで、気分は台無しになってしまったのです。
そして、出ていく女性の後ろ姿を見ながら、「この女性は、自分の言葉の表現に気づいているのかしら? このまま気づけなければ、この男性でなくとも、誰と付き合っても、結婚しても、きっと同じような喧嘩や過ちを繰り返すのではないか? 子育てをしても、子供の言うことも聞かずに自分の権威を振りかざすだけの母親になるのではないか?」など、さまざまなことを考えてしまいました。
人は誰しも、会話の中で必要以上に、日常使い慣れた言葉を使っています。しかし、せっかく会話をしていても、「でも」「だって」「〜のに」と否定ばかりしていては、話す相手としてひんしゅくを買ってしまうこともあるのです。
決して否定がいけないというのではありません。会話の中で、自分の意見と違うと思えば、否定することも、立派なコミュニケーションです。むしろ相手が心から信用してくれて、それを必要とすることもあるでしょう。
一番恐ろしいのは、自分が相手のことを否定しているつもりもなく、慣用表現のように否定形を使ってしまうことです。軽い気持ちで使われたとしても、相手の心に残るのは、「自分の思いは相手に伝わっていないのだな」という悲しい気持ちです。
「でも」「だって」「〜のに」というような言葉を使う前に、その言葉を会話の中で本当に使うべきなのか、考えてみてください。
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