青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

気持ちが落ち込んでしまったときの対処法

人間、生きていれば、気分が塞ぎ込んでしまったり、気持ちが落ち込んでしまうことがあると思います。

 

もちろん、この文章を書いている私にだって、そういうときはありますし、気が滅入って食が細くなることだってあります。「そんなことはない!」なんて言える人は、おそらくこの世の中にはいないのではないでしょうか。

 

ですから、今回は避けることのできない気持ちの落とし穴に遭遇してしまったときに、どう対処すればよいのかについて、考えていきたいと思います。

 

気持ちが落ち込んでしまうと、“お先真っ暗”という言葉があるように、目の前が暗くなって、出口のないトンネルに迷い込んだように感じてしまいます。そうすると、「もうだめだ……」とか、「なんで自分ばかりがこんな目に遭わなくてはいけないんだ……」と、自分自身を否定して、この先にはいいことがないと物事を悲観的に捉えがちです。

 

もちろん、誰だってこんな感情にはなりたくありませんよね。そこで、たいていは「落ち込まないためにいかにすべきか」と考えるのですが、冒頭でも申し上げましたとおり、落ち込まない人間などいません。

 

ですから、「落ち込まないようにどうするのか」ではなく、「落ち込んでしまったらどう“対処”すべきか」という発想の転換をしたほうが、より現実的な考え方だといえます。

 

みなさんは、この気持ちのトンネルに迷い込んでしまったときどうされていますか? 考えないようにする人。友人に話を聞いてもらう人。ただひたすら耐える人……etc

 

みなさん、それぞれの対処法があるのではないでしょうか。たとえば、嫌なことやつらいことがあるとお酒を飲んで忘れようとする人がよくいらっしゃいます。ストレス発散も大切なことですし、対処法は人それぞれですから、一概にこれが悪いとはいえません。でも、酔いから醒めれば元の感情が押し寄せてきますし、気分転換を図るだけではそう簡単にこの負の感情から逃げ切ることはできません。

 

では、落ち込んでしまったときにはどうすればよいのか。私はそういう場合、ある方法をとっています。それは、“自分の気持ちを紙に書き出してみる”ことです。

 

たとえば、友人と喧嘩をして気分が滅入ってしまったとします。そこでまず、今どんな気持ちなのかや、自分は何に腹を立て、どんな発言をしたのか。それによってどういうことが起きたのか……etc

 

そうやって書き出していくうちに、「これが嫌だったのか」とか、「これが気になっていたのか」と、自分の不満や喧嘩の原因が具体的に見えてきます。これは文字にするという行為によって、一歩下がって物事と向き合うことになり、客観的に自分を見直すことができるからです。

 

人は理解できないものに不安感を覚えます。ですから、自分で問題点やその原因を特定するだけで、不思議と心が軽くなるものです。それに、具体的に原因がわかれば、おのずとどうすべきかということも見えてきます。つまり、紙に書き出すことによって、自分の悪かったところや、間違った考え方に気づくというチャンスにもなりうるというわけです。

 

ここまでは落ち込んでしまったときの対処法のお話でした。でも、これだけでは“気持ちのトンネル”に太刀打ちはできません。紙に書き出す方法にしても、万全のものというわけではありません。仕事が忙しくて時間が取れないこともあるでしょうし、気持ちの揺れ幅が大きくてどうしても客観的になることができない場合もあるでしょう。

 

そこで今回、私が最もお伝えしたいのは、“落ち込む前の準備”についてです。先ほども申し上げましたとおり、落ち込まない人間などこの世に存在しません。でも、事前に準備さえしておけば、立ち直りに必要な時間を短くできますし、落ち込んだときの経験をその後の人生に生かせるかどうかも変わってきます。

 

では、“落ち込む前の準備”とは、具体的になにを指すのでしょう? 察しのいい読者の方はもうすでにお気づきかもしれません。それはこれまでに何度もお話ししてきた“知識”、つまり、“常に自分を見つめ直して反省し、それを積み重ねていくこと”です。

 

自分の考えや行動を問い直すということは、自分自身の性格や魂の成長を促します。その結果、たとえ落ち込んでしまったとしても、自力で立ち上がる強さを身につけることができます。それに、内省することによって、落ち込んだことやその原因自体の体験を、その後の人生に役立てるようなります。

 

「“知識”を積み重ねるといっても、どうすればいいの?」という質問をよく受けるのですが、その際に私はいつも読書をおすすめしています。

 

読書といっても、小説やエッセイ、詩集やビジネス書などと、その種類は膨大です。知識の蓄積と聞くと、どうしても難しい本を連想してしまいますが、実はなんだっていいのです。もっと言ってしまえば、何も読書に限らず、テレビのバラエティ番組でもいいですし、映画だっていいのです。どんなものにも知識は詰まっていますし、そこから学んでいくことができるのです。

 

しかし、あるひとつの大きな落とし穴があります。これに気がつかなければ、いくら本を読んでも、どんなに素晴らしい映画を観ても、人生の糧を手にすることはできません。

 

たとえば、テレビの恋愛ドラマを見ていたとしましょう。AとBは相思相愛なのですが、その間に障害があったり、お互いが素直になれなかったりと、なかなか一緒になることができません。そんな中でドラマが展開されていくうちに、最後はみんなに祝福されながら結ばれる、そんなストーリーだったとします。

 

このドラマを見終わったときに、「ふたりが結ばれてよかった」とか、「私もこんな恋愛がしたい」といった感想だけで終わってはいませんか? ドラマですから見て楽しむことは大事ですが、それだけでは“知識”の蓄積という意味では足りません。

 

ドラマや小説というものは、つまるところ人間劇です。その中には人生を歩んでいくうえで、大切なことがたくさん散りばめられています。ですから、ただ「面白かった」というだけの感想で終わらせず、「なぜ、人は素直になることができないのだろう」とか、「敵役として描かれた人物の感情はどうだったんだろう」などど、人間心理に踏み込んだ思考が大切になってきます。つまり、そのドラマの中で感じた“疑問”を自分にぶつけて考えてみる。そして、その登場人物の立場になって、その状況や心理を考えてみるのです。

 

これはドラマに限らず、読書でもそうですし、音楽や絵画などの芸術鑑賞をしたときにも大事なことです。

 

つまり、みなさんが見聞きしたすべてにおいて、本来なされるべき論考なのです。現代の忙しい生活の中で、私たちはこのことをないがしろにしてしまっていますが、このように考え、想像することで、“知識”というものは自分の血肉となっていくのです。

 

では、そもそも“知識”を蓄えていくと、立ち直りが早くなるのはなぜでしょうか?

 

それは落ち込んだとしても、過去の経験や知識と照らし合わせて、落ち込んだ状況を把握することで、気持ちを落ち着かせることができるからです。冷静に周囲を捉えることによって、この負の状況を予見できる。つまり、人生とは決してどん底が続くものではないと経験則として知ることができるのですね。

 

ここで、先ほどの“自分の気持ちを紙に書き出してみる”を思い出してください。この対処法を続けていると、書いているうちに「あっ、これは過去に似たことがあったな」とか、「これは本で読んだことがあるぞ」っと、先を見通すことができる自分に出会えるはずです。結果をある程度予測できてしまえば、不安な気持ちというものは解消します。“知識”があるゆえにより早く答えが見つかり、暗いトンネルからも抜け出すことが容易になるのです。

 

また、先ほど「想像することで“知識”を蓄えることができる」と述べさせていただきました。つまり、これは本やテレビなどからだけではなく、普段の日常生活からも“知識”の蓄積が可能だということをしめします。

 

絶えず自分自身を見つめ直して反省し、見聞きするすべてから学ぼうとする姿勢を忘れない。そうやって手に入れた“知識は”、私たちが暗闇の中で途方にくれてしまったとき、道しるべとなって進むべき道を照らしてくれるでしょう。 

 

 

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