暮れに、主人が車の中でぽつんと言いました。
「今年も、そろそろ終わりか__。これまで忙しくて大変だったが、それなりにがんばり抜いた充実感のあるいい人生だったな」
私はその言葉を聞いて驚き、主人に聞き直しました。
「エーッ、敏雄君!オドロイタゼヨ(笑)」
「うん、お前にも、子供たちにも、神様にも感謝している」
まだ若い頃から二人でいつも話していた「人生80歳をメドとしてがんばって生きよう」がそろそろタイムリミット10年。
それを思えば、この歳になって主人がそう言ってくれたことで何かスッキリしたものでした。
娘、息子たちに主人の言葉を伝えたら、二人とも腹の底から「エーッ、あのお父さんがそんなこと言ったの? でも、本当にその言葉を聞いて、子どもとして気持ちが安らぐ思い」と素直に喜びを表現してくれ、私自身も主人の言葉に対してホッとしたものです。
私もこの与えられた人生の中で、できるだけ人の心に響くもの、心の打つものを残していきたいと思っています。
これまで、仕事でもプライベートでもいろんなことがありました。その都度、主人、子どもたちに抱きしめられんばかりに大切にされ、励まされ、ここまできました。そして、その苦しみや困難な状況の中で私自身が気づけたこと、学べたことがたくさんあり、今となれば、むしろ、それらがあったことによって現在の自分があるのだと思い、幸せな気持ちになります。
新しいの本の出版に向けて原稿を執筆している時、途中でどう書くべきかと文章が進められなくなることも度々ありました。しかしその都度、プライベートなことでのさまざまなアクシデントがあり、そこで苦しみ抜き、その苦しみを得ては、そこに気づくことがあり、心の中ではわかっているのに表現の仕方がうまくできずに懸命に努力する__そんなことを重ねていくうちに、あれほど進まなかった文章がスラスラと書き進められるようになり、その経験や知識をそのまま読者の皆様方にお伝えすることができるようになったのです。
そのように、「私自身が気づけなかった、知らなかったことがあった」からこそ、今、こうして人生の先輩としてお話ができるわけで、そこにもし私の見栄があったなら、読者の皆さんの心を打つ文章にはならないと思います。
私も皆さんと同じように、苦しみの中で、「妬み」という「妬まれる本人には理解も想像できない人間の持つ心の汚れや行動」をも見ました。
しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。
自分自身の心が見栄を張っていては、これ以上の学びを得ることはできません。
この世を去るその日まで物事を学ぶことに貪欲であり続けたい、勉強し続けたいと思います。
ある日、若い女性の相談者とこんな会話をしたことがありました。
彼女は、拝殿でご祈祷料ののし袋を自分のバッグから取り出してこう言いました。
「ちゃんと封筒の中にお金を入れたかどうか気になりますので、失礼ですが、ここで確認させていただいてよろしいですか?」
「いいですよ、どうぞ」
「あーっ、良かった。良かったです」
彼女はのし袋の中身が入っているのを確認し、ホッした様子。
相談者の中には、のし袋の方向を確かめずに、逆向きにしたまま置いて帰る人や裏返しのまま渡す人もいる中で、その若い女性の素直な態度や行動を見つめていた私は、ほのぼのとした「幸せな心」に包まれました。
見栄を張るより、本心を正直に伝えること。そのような素直さがあれば、たとえ失敗したとしても、一つひとつの経験が必ず一生涯知識の積み重ねとして身になっていくはずです。
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