青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

心の修行

幅広い知識がない人ほど、不幸を招いた源を人のせいにしがちです。

 

例えば、自分の忘れていた過去の出来事を、相手は忘れていなかったこともあるように、根底の原因もわからないままでは、当然、物事を良く考えたうえで自分が解決すべきこととは思いもしないのではないでしょうか。

 

自分の学びとなる「他人の失敗事」に対しても、「自分には関係ない」と捉え、自分に置き換えて考えることもせず、若い時から歳を重ねても気づこうとしない心のままでは、子や孫にまで根拠のない迷信を伝えてしまうことさえあります。

 

何事も自分のこととして捉え、よく考えて判断力を養っていれば、親となっても、子どもに対して、「人生の先輩であり、師として導く」ことができ、また時には、時代の変化にともなって学ぶべきことを「わが子に素直に教えてもらう親」となれるでしょう。

 

「老いては子に従え」の諺の如く、ある面ではそれを活用しながらも、ただ従うだけでなく、「わが子にも教え、わが子からも学ぶ心の姿勢」を持つように、親子関係においても人生の修行として生きることが大切なのではないでしょうか。

 

頑固一徹の我を張り、親の権限を押し通しても、年老いる身体や行動は周りから見ても決して「可愛いおじいちゃん・おばあちゃん」には見えないのでは!? それでは、人生の修行としては不足です。

 

また、もしかしたら、あなたの傍には、可愛くないと言われるおじいちゃんやおばあちゃんがいるかもしれません。

 

しかし、その人たちとあなたは、過去世で親子だったかもしれません。

 

あなたのご主人、または妻の親、舅、姑は、過去世で実の親だったかもしれない。

 

それは夫婦でも同じことです。

 

あなたの傍にいる身近な人、否応なく関わりを持たなくてはいけない人は、あなたの過去世の魂の洗浄が足りず、現世で修行の対象となっているのかもしれない……。

 

ならば、私たちは、何とか来世に持ち越さない方法として、心の修行を全うする努力が必要となるのです。

 

まして、そこには連鎖という見えない壁が邪魔をしているため、よほど幅広い知識を得、また、より多くの人たちとの交流、体験を通して努力を続け、それらを身につけていかない限り、その壁を打ち破るのは難しい……。

 

いつまでも「井の中の蛙」、童話の「裸の王様」のような、哀れな人生を送ってしまうことになりかねないのです。

 

例えば、よく嫁姑問題の相談があります。これは言葉で表現するよりも現実は苦しく、双方の感情や心理が伴うため、解決するのはかなり困難なようです。

 

何より大切なことは、私たち誰もがわが子に大切にされたいように、その親たちもわが子に大切にされたいのです。

 

血縁関係に限らず、さまざまな不幸やトラブルの根本には、何らかの知識不足があるわけですが、その源、原点に気づくには、幅広い知識を得ることと、自分の「我」の強さをいかに抑えられるか、がとても大事です。

 

この我の強さや感情に流されてしまうことで、気づくべきことに気づけない人が何と多いことか……。

 

私のもとを訪れる人々の中には、「相手を許せない」心の傷を持つ人も多くいます。

 

「◯◯さんにこんなひどい仕打ちを受けた」

 

「傷つけられたショックで今も立ち直れない」

 

「あの人だけは、絶対に許すことができない」

 

しかし、神は、まるで私たちが見るテレビドラマのワンシーンのように、そこで一体何が起きていたのかを、相手の心理、口の上手さ、正直さ、ずるさなど、表面上、人が見せない部分を、過去・現在・未来の流れとして見せてくれます。

 

そのため、私は双方の問題点をすべて把握でき、相談者に回答することになるのです。

 

話が遡りますが、神が私に透視力を授ける時点において、その際の評価として「いかに正しい判断ができるか」が重要な要素となったようです。

 

その機会はそれまでにもありました。ところが、神々は私に透視力を与えたくても、私の心はまったくやる気もなく、進まず、なまけてばかりで、それゆえに神々の会議で私は合格点に達せず、結果的に二度もご利益を見送ることになってしまったのです。しかし、その時の私の心には大きな喜びでした。

 

神々からすれば、私をこの世で使うために送り出したのにもかかわらず……。

 

その神々の心も考えず「この道に進まなくていいから、ヨカッタ」とは……。

 

そんなことがあって、私は、あきれ果てた神々の厳しい注意を受けることになったのです。それは私が大切にしていた父の豹変でした(竹書房『気づきの条件__青森の神様・木村藤子物語』参照)。

 

でも、今思うと、神は私を愛おしくてたまらないが如く、人間の親が言うことを聞かないわが子を注意するように気遣い、まるで腫れ物にでも触るように優しく、あの手、この手を使ってなだめすかし、言い聞かせたのでした。今となっては深く理解できるのです。(それだけに神には申し訳なく思います)。

 

そのように私を含めて、我が道を守りたいがために、神に対して「言うことを聞かず」、誰もが持つ「その人の性格ゆえの不満が露出する」ことになるのではないでしょうか。

 

その「我」があるがために、対人関係においてもわずかなボタンの掛け違いを寛大に考えられず、「許せない!」との怒りが先立ってしまい、自分の落ち度や知識不足などの欠点には目が向けられず、腹立ちの苦しみから抜けられないのです。

 

しかし、それもまた致し方ないことかもしれません。

 

誰もが簡単に欠点を直せるなら、苦しみも悲しみもない、太平の世となるでしょうが、この世においては、過去世から持ってきたカルマという目に見えない欠点を直すための苦しみが与えられているわけですから……。

 

人生のさまざまな場面において、時に苦しみや悲しみを味わわなくてはならない困難な状況の中でこそ、己の欠点に気づいて、魂を磨いていく__それこそが心の修行であるならば、自分の置かれた場所での家族や親類、学校や会社の仲間等々、身近に接触する人たちすべてが修行の対象となり、そこにはさまざまな人間模様が生き続けるのです。

 

 

 

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