共同生活という家庭の中において、夫に注意されても、また妻や子どもから忠告されても、プライドや我が強い人ほど聞く耳を持ちません。
普通であれば、家族や親しい人から注意されたら、そこで一呼吸置いて、なぜ注意されたのか、その理由について2、3日でも考えながら省みるでしょう。
そもそも、何が相手の気に障ったのか?
それは、自分の言動に問題があったからかもしれない。
いくらこちらに悪意はなかったとしても、相手に誤解や不快感を与えたかもしれない。
だとしたら、一般常識に照らしてそこでどんな言動を取ればよかったのか?
それがわかったら、素直に謝ろう。
もしかすると、知らないうちに、同じようなことをくり返してしまっているかもしれない。
だとしたら、自分の性格に問題があるのかもしれない。
自分で気づいていない欠点、心の不足はどこにあるのか?
その欠点を直していくためにはどうすればいいのか?
ところが、プライドが高く、我の強い人は、このような考え方ができず、そのため気づくべきことに気づけない、欠点を直せないままなのです。
その根底にあるのは、相手がどう感じようと「自分には関係ない」という強い気持ちや我。そして、「自分ほどものがわかっている人間はいない」という傲慢さです。
例えば、図書館で働いているという司書の資格を持つYさんは、「自分ほど知識が豊富にある人間はいない」とばかり、いっこうにこちらの話を聞き入れようとはしませんでした。
知識というのは何百億、何兆以上、数えきれないほどあるわけですが、少なくともYさんはの知識は、困難な状況が生じても知識の倉庫から自分の身に引き寄せて考えることができない死んだ知識であり、ご本人がとても視野が狭いことに気づいていないのです。
「自分はなんでも知っている!」「決して間違いはない」という頑なな思い込み。
これこそ、一般常識の不足です。
一般常識は、個人の文化、家庭の文化、地域の文化、民族・国家の文化、はては人類全体の文化と、層を成すようにできています。
そんな中で、相手の文化をよく理解して、尊重するのが常識人と呼ばれる人であって、自分の文化だけが正しく、相手の文化はどうでもいい、おかしいと決めつけている人は、いくら知識が豊富でも常識人とはほど遠い、ということです。
Yさんもそうでしたが、一般常識に欠ける人ほどその点を指摘されると烈火のごとく相手を批難、攻撃してきます。
相手が「1」いっただけで「10」も「20」も反論し、相手を罵倒する。
女性であれ男性であれ、まるで自分が攻撃されたかのように、相手を打ち負かすまでヒステリックに怒鳴ったり大声をあげて攻撃をし続けるのです。
これでは会話が成立しなくなります。
「会話」とは独り言ではなく、相手があって話すもの。相手の話もちゃんと聞き、自分の考えもしっかり述べる。この繰り返しが会話と知っていても、現実には実行できない人も少なくありません。
あなたはちゃんと「会話」を実行できておりますでしょうか。
感情的で一方通行の話は、決して問題の解決にはつながらず、相手の感情を逆なでするだけで、幼稚な人の言動以外の何ものでもないのです。
この「心の幼稚さ」があらゆるトラブルや問題の原点になっていて、それが子育てであれ、夫婦問題であれ、嫁姑問題であれ、あらゆる人間関係の不和や対立を招いています。
心が幼稚のままだと、運命のシナリオにそった魂の宿題をこなすことができないのはいうまでもないでしょう。
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