相談者の中には、
「若い頃には自分のプライドや我の強さに気づかず、そのため自己中心的な言動からいろんなアクシデントやトラブルに見舞われました。しかし、そんな時さえも『自分は素晴らしい!』と思っていました。
けれど、長い社会生活の中でいろんな人にもまれ、時にプライドがズタズタになったり、最愛の子供を失ったり、悲しみのどん底まで落ちた時に初めて気づくことができました。亡くなった息子のおかげで、自分のどこが愚かだったのかに気づかせてもらいました。息子のおかげです」
そう言って、ここに来られる方々も少なくありません。
仮に、それが数年、数十年かかったとしても、自らの過ちに気づいて直せれば、心は必ず成長します。
「これまで自分は何と愚かだったか」
「周囲の人たちに支えられていたことにやっと気づけた」
「今、生かされていることが本当に有り難い」
そのように思えたなら、気づきの心が一歩、前進できたことになるのです。
ある時、刑務所から出てきたというNさん(四十代男性)が相談に来られました。
Nさんは、刑務所に入る前、私の本を一冊読んだことがあったそうですが、その時はピンとこなくて放っておいたとか。
しかし、服役中、どうしても読みたくなったので知人に頼んで持ってきてもらい、刑務所の中でむさぼるように読んだそうです。
その本は、大切に風呂敷に包んで持参されたのですが、あちこちボロボロに破れている状態で、赤ペンであらゆる箇所にラインが引かれていました。
「来る日も来る日も、ボロボロになるまで先生の本を読みましたが、初めは深く理解できずに苦労しました。
刑期を終えて来たのですが、今、自分には蓄えも頼れる人もいません。誰もが私から遠ざかって行きました。
何とかアルバイトをして、お金を貯めて、ここまでやって来ました。
これから生きていくうえでの道しるべがほしくて。
もう二度と愚かなことはくり返したくないので……」
「何をしたのですか?」
「窃盗から婦女暴行、その他にもいろんな罪を重ねました。自分の感情に任せて思うままに行動してしまったんです。先生の本を読んで本当に愚かな自分に気づきました」
「実家には帰らないのですか?」
「親は離婚していて、どちらも絶縁状態です。たった一人のきょうだいもどこにいるかわからない状態で、身元保証人もいません」
その後のやりとりで、Nさんが心から反省している様子がひしひしと伝わってきました。
まして、無一文の彼からご祈禱料を受け取るわけにもいきません。
「ご祈禱料はいりません。そのお金は何かに使ったらどうですか?」
Nさんの将来にエールを送る意味で私がそう言ったら、彼はこう言いました。
「いえ、これは大事なことです。けじめですから。
ここまで来て、それを怠ったら初めから何も直せなくなります。大金ではないのですが、どうか受け取ってください」
そう言いながら、ボロボロの本を私に見せて、
「この本は、私の心の、命の支えです」
とても嬉しい言葉でした。
「新しい本を差し上げますから」
「いえ、これ(ご祈祷料)しか用意していないので、本代を払えませんから」
「そんなに大切に読んでいただけるのは、とても嬉しいことです。数冊、読んでいただきたいので、よろしければ」
「……そうですか。それではその本も読んでみたいので遠慮なくいただきます」
そして、彼がどうしてもと差し出したご祈祷料の入った封筒を受け取って、
「ありがとうございます。では、拝殿にお供えさせていただきますね」
と言って、いったん拝殿にお供えしてから、再び彼に向って言いました。
「Nさん、このご祈祷料はあなたに返すのではありません。
このお金は、あなたがせっかくここまで来てくれたことに対する神様からのお礼としてご使用ください。素直にいただくことも大切ですよ」
「でも、これをいただくと心が揺らいでしまうようで……」
「それに、返せないかもしれないので」
「それは期待していないから。いつか誰か他の方に良いことをしてあげて」
Nさんはやっとご祈祷料を受け取ってくれました。
私は彼の後ろ姿を見ながら思いました。
「気づけば、決して失敗はしない! がんばって!」と。
Nさんとのやりとりで、改めて考えさせられたことがありました。
それは「保証人」という存在の大きさです。
Nさんには身元保証人になってくれる人がいないため、働く場所や住む場所もままならない様子でした。
ここに来るために、短期間ちょっとしたアルバイトをしただけで、保証人がいないとなると就職するのも難しく、これから一人で生活をしていくうえで新たな困難が待ち受けていることが予想されました。
就職やアパートなどの賃貸契約、借金をするにしても、保証人になってくれる人がいなければ諦めざるを得ないのが現実の厳しさです。
よく昔から、「保証人にはなるな」「保証人になったら自分の人生まで棒にふることになる」などと言われますが、たしかに専門家によるとそれなりの理由があるようです。
ある調査によると、破産申し立てをしている4人に1人は自分の借金が原因ではなく、他人の借金の保証人になったことが原因になっていたり、実際に生活破たんに追いやられた保証人が自殺するといった悲惨な出来事もあるからです。
一方、保証人を頼んだ方も、借金が返済できず契約不履行になった場合、保証人に迷惑をかけないために生命保険金で返済しようと、自らの命を絶つことも少なくないとのこと。私のところに訪れる相談者も、このような苦しみを持つ方が後を絶ちません。
このように、保証人というのは生活上とても重要な位置を占めていて、保証人になる、ならないで、人間関係に大きな影響を及ぼすこともあるわけです。
たとえ親が健在でも、契約内容によっては親が無職や年金生活だと保証人になれない場合があったり、また両親以外の保証人が必要な場合もあるようです。
そうなると、親類や親しい人、恩師など、身近な人に頼むことになるのでしょうが、常日頃から疎遠にしているとすぐにOKというわけにもいかないかもしれません。
そこで、どれだけ自分に対する信頼や信用があるかが問われます。
経済的な事情もさることながら、まず、人間的に信頼されていないと保証人になってもらうのは難しいでしょう。
反対に、日頃から仲良くおつき合いができていて、人としての信頼が得られていれば、「保証人になってもらえませんか?」と頼んでも、「わかった、いいよ」と二つ返事で引き受けてもらえるのではないでしょうか。
それゆえに、日頃、接する人との信頼関係がいかに大切であるかということを心にとめおき、人との信頼を裏切ることなく生きていくべきです。
人は、長年の信頼関係を持ち続ける中で、血縁よりも信用しあえることもあるわけですから。
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