青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

72億通りの人生

 私たち人間は、〝環境の動物〟だと言われています。もちろん、ひと口に環境といってもそれは人それぞれイメージのしがたいものですが、これを兄妹の関係には当てはめてみると、非常にわかりやすいものとなります。

 

 一般的に、長女は不器用だけれど責任感が強いと言われ、反対に末っ子は要領が良くて、空気を読むことに長けているとされます。また、真ん中の子どもは、淡々と努力を積み重ねることができるタイプが多いと考えられています。もちろん、個々人の差はありますが、おおまかに分けて、これが世間一般的な兄妹の関係性と言われています。

 

 このことからも、人間は環境によってその人格を形成していくことがわかります。これをさして「環境決定論」というのですが、むろん、それだけですべてが決まるわけではありません。

 

    人はそれぞれ、育った環境が違えば、歩んできた道も違うものです。兄妹に関しても、家庭という環境は同じですが、歩みは異なるものです。例えば、あなたの兄妹はあなたと全く同じ価値観を共有していますか? 決してそんなことはないはずです。

 

 持って生まれた〝魂〟が、環境やこれまでの歩みによって形作られていき、今の趣味趣向や思考回路、行動倫理ができあがります。それは本当にさまざまな出来事や経験の積み重ねです。人が経験することはすべて違うのですから、一人一人の生き方にも、当然違いが出てくるものなのです。

 

 例えば、多くの人は「大阪の人はおもしろい」というイメージを持っています。しかし、大阪の人はすべてひょうきんなのでしょうか。なかにはシャイな人もいるでしょうし、冗談ひとつ言わない生真面目な人だっているでしょう。それなのに、すべてのことをひとつの括りで考えてしまう。つまり、〝レッテル張り〟をしてしまうのは、人生ではとても危険な考え方だと思います。

 

 現在、地球上には72億を超える人々が生活をしているといわれています。それは、72億通りの人格が存在していることを意味しますので、行動などはもちろん、受動的な感情などもそれぞれに差が生じることになります。

 

 ある人物が良かれと思ってしたことであっても、それに対して理解を示し、気持ちを汲み取ることができる人もいれば、逆に余計なことをしたと非難する人も出てくるものです。端的にいってしまえば、気の使い方ひとつにしても、人それぞれに違いがあるのです。そういった価値観の違いは生きていくうえで非常に重要で、一歩間違えると取り返しのつかない事態を招いてしまうことだってあるのです。

 

 昨年、ある女性(以下、Tさん)が、青森まで相談にいらっしゃいました。彼女は九州に住んでおり、ここまで来るのは本当に大変だったはずですが、ある出来事が起き、藁にもすがる思いでおいでになったのだと思います。

 

 Tさんには、今年で28歳になられる息子さんがおりました。ひとり息子ですから、よい人生を歩んでほしいと、甘やかすことはせずに、厳しく育てたと言います。しかし、彼女の育て方には大きな問題がありました。

 

 彼女は息子さんに「たくさん勉強して、いい高校、いい大学、いい会社に入りなさい。お父さんのようになってはダメですよ」、そう言い聞かせて日々を過ごしていました。趣味の登山に没頭する父親が、息子さんと一緒に山に行きたがったても、危険であるとか、登山などなんの役にも立たないと反対し、彼女が許可を出すことはありませんでした。

 

 中学生ともなると、山登りに行くという息子さんと、母親であるTさんの間で口喧嘩が絶えませんでしたが、「勉強さえできればいい!」という彼女の考えに、変化はなかったと言います。

 

 その後、息子さんは東京の大学に進学。大きな問題もなく学校を卒業し、念願かなって大手企業に就職をはたしました。しかし、息子さんはなかなか帰省せず、Tさんは息子さんの考えや思いを読み取ることもないまま、「忙しいためでしょう」と自分に言い聞かせて、寂しい気持ちを我慢していたそうです。

 

 息子さんが就職してから3年後、彼女のご主人が突然病に倒れ、亡くなってしまいました。すると、その頃から息子さんの連絡は徐々に減っていき、年に一度は帰省していたのに帰ってこなくなり、連絡さえも十分に繋がらなくなっていったと言います。彼女は息子に何かあったのかと思い、いても立ってもいられなくなり、東京にある息子のアパートに向かいました。

 

 慣れない飛行機に乗り、やっとの思いでついたアパートだったのですが、そこには息子はいませんでした。驚いて大家さんに連絡してみると、「奥さんと一緒に引っ越した」と言います。もちろん、Tさんは息子さんが結婚したことなど知りません。息子さんが勤めていた会社にも行ってみたのですが、すでに退職しており、行方がわからなくなってしまいました。

 

「一生懸命に育て上げた、あの立派な息子が連絡もなく結婚したり、仕事まで辞めていなくなるなんてあり得ない。息子は悪い女に捕まってしまったのではないか」と思い、Tさんは私のもとに相談に来られたのです。

 

 しかし、息子さんが姿を消した理由は、悪い女性に捕まったのでもなく、事件に巻き込まれたわけでもありません。酷ではありますが、母親であるTさんとの縁を切るために、連絡さえできないようにしてしまったのです。

 

 理由はただひとつ。母であるTさんが親の権限を絶対とし、息子さんの考えを何ひとつ認めず、自分の考えを押しつけてしまったことが、血を分けた子どもに「我が親ながら、疲れ果てた」という感情を持たせてしまったのです。

 

 自分の価値観ばかりを押しつけては、他人はもちろんのこと、我が子であったとしても、人はどんどんと離れていってしまうものです。たとえ家族だとしても、「相手にも考えがあるのだ」ということを頭に入れて接していくことがいかに大切であるかしみじみと考えさせられる出来事でありました。 Tさんの場合、対話の重要性や意味を考えることなく、ただ〝自分のみ〟であったことが、この事態を招いたすべての元凶です。

 

 Tさんにそのことをお伝えすると、初めは涙を流しておりましたが、「私の気持ちを理解してくれない! 私の欠点ばかりをあげつらねて怒ってばかりいる……私は罵倒されるために来たんじゃない!」と、部屋を出て行ってしまいました。

 

 そのようなとき、私は「怒ったわけでも怒鳴ったわけでもないのに、そうとして受け取れないとは……」と落ち込みますが、「我慢、我慢!」と自分自身の心に言い聞かせるほか術がありません。助けたいのに助けられない無念さを飲み込んで、次の相談者を呼ばなければけない自分を見つめるしかないのです。

 

 私たちは人と会話をするときに、自分の話す内容を相手が理解してくれない場合ですとか、言葉のキャッチボールがうまくいかないことが往々にしてあるものです。しかし、いくら自分の気持ちや話すことを理解してほしいからといって、相手を頭ごなしに非難したり、叱ってみたところで、相手を自分の思い通りに動かすことはできません。

 

 自ら気がつき、自ら心底「変わりたい! 」と思わぬ限り、人間というものはそう簡単に変わることはできません。ですから、たとえどんなに自分の考えが正しいと思っても、それを絶対のもとして固執してしまっては、争いのもとになってしまうのです。

 

〝自我と非我〟には、狭間が存在します。私たちはその狭間で、お互いの考えを理解し、尊重しなければ、人との関係をうまく保つことはできません。

 

 私たちは独立した一個一個の〝魂〟を持っており、考え方や生き方の違うそれぞれの人間として、日常を過ごしています。ですから、「自分が一番である!」とか、「自分には間違いなどない!」といったような気持ちの比重が多すぎては、対人関係のバランスも崩れていってしまうのです。

  

 

 

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