拙著などで、「過去、現在、未来をひとつの連なるものだと考え、今だけじゃなくて過去から現在、現在から未来というものの考え方をしましょう」ということをよく述べています。
ただ、この意味がよく分からないというご意見を読者の方からいただくことも結構あります。過去、現在、未来がひとつのものだと理解ができないとのことです。
本日は、この「過去、現在、未来」についてお話します。
人は「今」というこの一瞬一瞬を生きていますから、実際には今このときしか認識できません。過去に戻ることができないように、未来に行くこともできません。
しかし、「時間」は常に流れていますから、今このときが一瞬で過去となり、1秒先にあった未来が一瞬で「今このとき」となります。この連続で人生は進んでいきます。
ですから、人生というのは「今」だけではなく、過去、現在、未来というのはひとつの連なりなのです。
ひとつの連なりである以上、「今」考えていることや言動が未来の出来事に対して影響を及ぼします。
たとえば、相手のことを考えずに無意識で相手を傷つけるような言動をしてしまうと、未来において相手から愛想をつかされてしまいます。
しかし、自分ではそんなこととはつゆ知らず、「一体なぜ私は愛想をつかされてしまったのだろう…」となります。さて、その答えはどこにあるかというと、「過去」ですね。
未来のことを考えずに、「今」このときだけを考えてしまっていたため、相手のことを考えずにとった言動が、未来において悩みや苦しみといった姿に変えて降り掛かってきてしまうのです。
過去、現在、未来を一連のものとして考えなければいけない理由はふたつです。
ひとつめは未来において悔いを残さないため。
ふたつめは今の苦しみの原因は過去にある場合が多いため。
仏教では因果応報という考え方がありますね。過去(前世も含む)における行いに応じて果報があるという考え方です。良い行いをすれば未来において良い出来事が起こり、悪い行いをすれば未来において不幸が降り注ぐといった感じです。
これは、何も前世から来世という大きな時の流れの中だけの話ではなく、人生80年の間でも繰り返される現象です。
今、私がこのメールマガジンを適当にやっていてならば、必ず未来において何かしらの報いがあるはずです。逆に、今このメールマガジンをみなさんのために一生懸命やることで、未来においてなんらかの救いがあるはずです。
こうした考え方が、過去、現在、未来を考えるということなのです。相手の立場になって、何をすればいいのか、何をしたらだめなのかをしっかりと考えながら生きていく。
ただそうするだけで、人生というものは明るいものになります。そのことは、みなさんもお気づきのはずだと思います。
では最後に、ひとつだけ自作の詩をご紹介したいと思います。
「一時の我が身を守り
罪を隠してみても
いずれは返る
我が身の元へ」
この詩は、幸せになるための条件のひとつだと認識し、心に留めておいていただきたいと思います。
そのときだけの自分を守るために他人を陥れて、そのときだけ自分がいい思いをしたとしても、結局は自分に返ってきます。幸せになる道を、自ら放棄していることと同じなのです。
拙著『幸せの詩が聞こえる』(主婦と生活社)でも書いていますが、一瞬の我が身を守るためにだけ物事を判断するのではなく、過去世から来世までをも考え、正直に生きていかなければいけないと思います。
「正直」とは、人生の道のりを明るく照らし出してくれ、正しい方向に導いてくれる灯台のようなものです。正直さを失ったとき、人間は人生の荒波に飲み込まれてしまうのでしょう。
繰り返しになりますが、今だけではなく、過去、未来のことをも考えて正直に生きること。そうするだけで、人生は明るく照らし出されることでしょう。
【You Tubeチャンネル】