明るく元気に毎日を過ごしたいと思いながらも、時には不安が押し寄せてきて暗い気持ちになったり、何気ないことをきっかけに落ち込んでしまうこともあるでしょう。
ご相談に訪れる人の中にも、
「私は心配性で、小さなことでもクヨクヨと悩んでしまってイヤになります。どうにかなりませんか」
「テレビで震災や事故の映像を見ると、まるで自分が体験したような気分になって、言い表せないような不安に襲われてしまいます」
といったことを訴える人がいます。
でも、人として生きていれば、誰でも不安になることがあります。何も特別なことではないのです。落ち込む内容にもよりますが、これもまた、いろいろな知識を得ることによって、理由もなく慌てたり不安になることもなくなるはずです。つまり、そのようにして防げる不安もたくさんあるわけです。
とは言え、不安を抱えたまま、落ち込んだまま時を過ごすというのはつらいものです。
中には、不安になると「なんで私ばかりがこんな目に……」などと必要以上に悲観したり、「こんなことで落ち込むなんて、なんて私はだめなんだろう」と自分を責める人がいますが、それでは、余計に不安や落ち込みを長引かせるだけです。
では、どうすればいいのでしょうか。精神的な病で落ち込んでいるのか否か、ただ淋しいことが誘因となっているのかどうかを正しく判断できるようになるためには、常日頃「学びの精神」と「緊張感」を失わずに過ごすことが大切なのです。そうすることによって、広い感性を持つことができ、立ち上がる気力になり、落ち込みから立ち直ることができるでしょう。
いかに「知識」と「気づき」が大切かは、これまでの著書でも繰り返し述べてきましたが、幸せへの道程は、気づきと知識なくしては進んでいけないと私は考えています。
たとえば、戦国時代を生き抜いた女性の一生を描いた歴史小説、難病を抱えながら仕事に子育てにと奮闘した女性の伝記などを読んでみたならば、そこから人生の苦難から立ち上がる勇気をもらったり、生きるうえでの知恵を教えられることもあるでしょう。
また、書店や図書館で何気なく手に取った詩集の一編から、生きていくことの厳しさ、楽しさ、喜びといったものを再確認でき、それによって不安を乗り越える力を得られることもあるでしょう。
もしも、経済的な面で将来の不安を感じていたなら、保険会社のカタログやビジネス書を手に取って、年金や保険に関する知識や情報を得るのもいいでしょう。そういったものから得た “具体的な知識” が、不安から抜けていくための力をくれるのではないかと思います。
また、人のふりを見て我がふり直す、ということも気づきや知識の向上につながりますが、これまでの経験もひとつの知識です。
年を重ねるほどに自分の過去の体験も増えていきますが、そんな豊富な経験が目の前の不安や落ち込みを乗り越える力になることもあるのではないかと思います。
「あのときはもっと大変だったけれど、なんとか乗り越えられた。だから、今度もきっと大丈夫」
そのように、自分の不安を客観的に冷静にとらえることができれば、不安を早く解消できたり、落ち込みから早く立ち直っていくこともできるはずです。
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