ちょっとした行き違いによる些細な口ゲンカから、、こじれにこじれた諍いまで。人と人とが関わっている場所には、大なり小なりの争い事が発生します。後々、笑って済ませられる程度のものなら心配もありませんが、お互いのためになるワケでもなく、心に傷だけを残してしまうような陰湿なケンカはできる限り避けたいもの。ましてや自分に近しい相手とのケンカなら、縁の切れ目にならないよう、尚さら気をつけたいものですね。
それでも、どうしてもケンカになってしまった時に考えてほしいのは、勝つためだけのケンカをしていないかどうかということ。負けず嫌いのため、何がなんでも勝ちたいために、言ってはいけない言葉、してはいけない行動の限度を超えてしまうと、二度と修復できない大きな傷を負ってしまうことだってありえるのです。
子ども同士のケンカが、大騒ぎして泣きわめいている割に終わった後で大事にならないのは、その場限りの感情のぶつけ合いだけなので、相手を理詰めで追い詰めるようなことをしないからなのかもしれません。ところが大人のケンカは、本人が思った以上の大事になることもあるので、自分にとって大切な人とのケンカである場合は、より一層、相手を理解しようと努め、ケンカの仕方と言葉の使い方には気をつけるようにしましょう。
ケンカをした際にまず一番に注意したいのは、どんなに自分が正しいと思っていても、相手に対してひとかけらの逃げ場も残さず理屈を積み重ねるような責め方をしてはいけないということです。お互い意地もあるので、エスカレートして感情的になってしまうと、どんどん相手を許す気持ちが失せてしまいます。
近しい人との言い争いにおいての目的は、相手をねじ伏せることではなく、あくまでも未来に向けてプラスになるための口論であることです。
お互いが成長するための、また、より深く互いを理解するための口論なら一向にかまいませんが、相手に負けを認めさせようと躍起になり、話し合いだということを理解しないままケンカを続けるのは、不毛な上に危険を伴う行為です。肉体的に殴り合ったりしなくても、責める方も責められる方も、大きな傷を負ってしまうのだということを肝に銘じておきましょう。
私も若い頃は頑固なところもあり、誹謗中傷に対して腹を立てたりすることもありましたが、毎日全国各地から訪れる相談者と向き合ううち、少しずつ寛大な心が身についてきたように思います。
相談者の中には非礼な態度をとる人や、常識を欠いた人もいましたが、その時は腹立たしく思っても、相手の気持ちや心の状態を理解できれば、「この人はまだ気づいていないだけなんだ」と、心の底からすべてを許せるようになったのです。
定年後に私の仕事を手伝ってくれるようになった主人とも、家庭の中で夫婦ゲンカをすることも少なくなりました。自分の心を見つめて、できるだけ心の汚れをなくし清めていくという「六根清浄」の教え。祝詞を繰り返し続けてきたことが、相手を責めるだけでなく許しの心を芽生えさせるきっかけになったのかもしれません。
【私にご質問いただけるメルマガはこちら】
まぐまぐ で登録できます。
【You Tubeチャンネル】