今は昔と違って、知識を得ようと思えばいくらでも方法があります。
例えば、テレビを見るにしても、ただボーッと見ているだけではなくて、「これは何?」「なぜだろう?」という関心や疑問を持って見てみてください。
テレビの画面には人生の悲喜こもごもが写し出されるので、たとえお笑い番組であっても、その人の表情や振る舞い、言動などから学べることはいくらでもあります。
例えば、ギャグにしても場違いなところで使ったら通じないし、一見暗くなる話題でも喋り方や話術で笑いに変えられたり、短所と思えることでも自分の売りにできるなど、お笑い番組でも役に立つことがたくさんあるのです。
あるいは、韓国ドラマにしても、特に歴史ものなどは人生にとって何が大事か、人として成して善いことと悪いことが発見できるので、そうした人生訓をドラマの中に見出して感性を磨くのもよいのではないでしょうか?
このように、何を見ても、何をしても勉強になり、知識を得られるのです。
昔の人がいっていたように、「生涯勉強」「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」「人のふり見て我がふり直せ」などという言葉も、同じような意味だと思います。
例えば、レストランなどで外食する時には人前での食事のマナーを、電車や公共の乗り物に乗る時には身体の不自由な人への配慮を、デパートや人気のお店で買い物をする時には店員さんの接客態度や相手の心を読む技術などの知識を得るチャンスで、すべて勉強になります。
このように、学校の勉強とは違って、人生で大切な知識はどこでも誰からでも学ぶことができるのです。
その学び、知識は、やって善いこと、悪いことの学びでもあります。
ですから、「愚かな人こそ我が師なり」。人から笑われている人にも学ぶべき点があるのです。
どんな人からも学ぶこと、それが正しい理解力や判断力を養う力になります。
ところが、学歴社会や物質偏重といわれる社会になって、「自分にとって得になることだけを学ぶ」という考え方に比重が移ったように見受けられます。
だから、「あの人はダメね」「あいつはバカだ」「あに人は役に立たない」などと、人を見下したり、あざけ笑う人が増えているのではないでしょうか?
自分のことは棚にあげて、いつも不平不満、文句ばかりいって、挙句のはてには「どいつもこいつも…」という口癖と共に周囲から孤立していく。
その言葉を聞いた周りの人は、どのように思うでしょうか?
また、その本人こそ、人に笑われる状態にあるのに、自分のいっていることさえ気づけないでいる愚かさがある。だからこそ、そのようにいえる言葉でもあるわけです。
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