長所や短所は、自分よりもむしろ身近な人がよく見てくれていて、信頼関係があれば、何かの折にそれを言葉にして伝えてもらうのも良いでしょう。
誰でも自分の長所をほめてもらえると嬉しいし、すぐにその言葉を受け入れます。
反対に、自分の短所をずばり指摘されると、なかなか受け入れ難いのではないでしょうか。
その受け入れ難い点を人から指摘された時、人は「いや、絶対、自分は自分を正しく、かつ注意深く見つめている」と譲らないタイプと、「アッ、そうか!? そうかもしれない」と考えるタイプに分かれます。
あなたはどちらのタイプですか?
特に、優越感やプライドがある人は、たとえ相手が良かれと思って忠告したとしても、かたくなに認めようとはせず、逆ギレして相手に対して攻撃的になったりします。
そうなると、人の親切が台無しになって、人から避けられたり嫌われるのがオチです。
「あの人にはいくら言ってもムダ」
「あの人には近づかない方がいい(触らぬ神に祟りなし)」
「親切を仇で返された」
要するに、人は長所をほめられた時よりも、むしろ短所を指摘された時にこそ心のあり方が問われる、ということです。
人から忠告された時に、感情的にならずに、いかに冷静に自分の至らなさや我欲を省みることができるか……。
夫婦関係においても、亀裂が生じたり、かみ合わない場合は、今一度自分を見つめ直すべきです。
そこで、自分の中に優越感やプライドが潜んでいないかどうかを見極める必要があります。
優越感や度が過ぎるプライドが厄介なのは、いつの間にか心の中に染みついてしまって本人にまったくその自覚がないからです。
例えば、生まれ育った家が経済的に恵まれていたり、両親共に学歴が高かったり、親類縁者に有名人や社会的に地位が高い職業の人がいたりすると、いつの間にか優越感を持ってしまって、自分が人よりも偉いかのように錯覚しがちです。
そのように自分の欠点さえも気づけないでいると、夫婦であればお互いの欠点だけが目について、ののしりあったり、相手を見下して愚かな人間と決めつけてしまう……実際にそのような夫婦が何と多いことか__。
幅広い人との交流の中で、人の意見を聞くことは、独善的になることを戒め、心を成長させてくれるのです。
人の世を生きる私たちにとっては、自分を元気づけるためにはプライドも優越感も必要かもしれません。
しかし、誰にもそれまで生きてきた人生の過去があります。その過去の中には、人に知られたくない過去や、悲し過ぎて、寂し過ぎて、他人に隠し通したい過去も必ず、一つや二つはあるはずです。
その過去の道のりを歩んできたからこそ、今の自分の姿があるのです。
ならば、優越感に浸ってしまう前に、己の「足るを知る」心を忘れてはなりません。足るを知ることを忘れてしまうと、不平・不満が頭をもたげ、「自分は! 俺様は!」と、ただただ人のことを笑ったり、他人との「幸せ度合い」や「裕福度合い」を比較するのみのおろかな人生に陥ってしまうのもしかたのないことかもしれません。
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