「こんなにも一生懸命神様にお願いしているのに、願いがかなわないのはなぜ?」
そんな疑問を持っている人も少なからずいると思いますが、それは、相手を困らせるような「自分勝手な願い事」以外にも理由があります。
「あの人と結ばれたい」
「あの会社に入りたい」
「もっと条件のいい職場に転職したい」
……このようにいくら願っても、祈っても、かなわないこともあります。
その理由は、その願いは、本人の過去世からのスピリット(精神・魂)のレベルに値するものではなく、この世で自分が考えたプライドや見栄、羨望などから出ているものがあって、それをかなえたとしても、決して本人の幸福や魂の成長にはつながらないからです。
その我の裏には、必ず過去世のカルマという「本人が犯した罪」があります。
この世に生まれてきた以上、誰もが人生の中でその罪を清算しなくてはならず、カルマゆえの約束事がある以上、困難な状況に置かれたり、楽な道ばかり歩むことはかなわないようにできています。言わば、本人が気づいていない欠点、例えて言うなら「過去の借金」があるがゆえに、必ずしも望む方向には進めない。
それゆえに、カルマという課題から逃れるような虫のいい願い事に対しては、神仏から「通行止め」が示される。これが、神様に願い事をしてもどうしてもかなえられない理由です。
そのような場合、自分のカルマの原点に気づいて、「よし、根本から生き方を変えよう」と覚悟を持って自分自身を変える努力が問われているのです。
「自分の罪は自分で償う」というカルマの罪は自分自身でしか解消できないので、困難な状況の中でも、何か異変に気づいたならば、「欠点を直すという心の修行」を続ける必要があるのです。
そこに気づかずに、我欲の願いをかなえてもらいたくて何かを熱心に信仰したり、難行苦行等をやり通したとしても、それは一時の体を痛めつけるだけの荒行であり、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では、必ず通らなければならない人の世の道のりは変えることはできず、その願いはかなわないばかりか、スピリットの成長から見るとまったく無意味です。
神仏に対する願いがすべてかなうとは限らないのは、そこに何らかのカルマが潜んでいるからで、すなわち、「過去世の貸し借りにおいて『借りたもの』を返さずにこの世を去っていることや、『残った罪』を返済しなくてはならない」という、本人の問題が隠れているからなのです。
反対に、過去世の良い積み立てが多い人ほど願いもかないやすく、また今世で貸し借りの貸し、つまり善いことを積めば積むほど、来世の保険となるのです。
ゆえに、何か願い事をする場合にも、「自分の愚かさ、未熟さに気づいて直せますように」「至らぬところがありましたら、改めたいので気づかせてください」などと自戒を込めることも大事です。
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