誰もがカルマがあるゆえの人生です。
カルマとは前世の業です。業というのは善い行い悪い行いのすべてです。
現世には、前世でやり残した課題を持ち越してきます。
個々のカルマの持つ運命にあう両親のお腹を借りて、前世の記憶を消し、まるですべてを忘れているかの如く「オギャー」とこの世に誕生するわけです。
しかし、例えれば、前世の人生がすべて録画されている1本のビデオテープがその誕生する赤ちゃんのスピリットの中にあるようなものです。
そこには善い行いも悪い行いもすべて記録されていて、霊界から再びこの世に来る時にそれぞれがオリジナルのビデオテープを持って来る。
そして、テープに刻まれている悪い行いを成した原因、心の不足や罪を克服して、できるだけ善い行いを成して成長するために、この世の修行の如く、喜び、笑い、悲しみ、憎しみ、不幸……等々の新たな人生の記録を刻んでいくのです。
悪いカルマは、自分で気づいて反省し、自力で乗りこえてなければ決して消すことはできません。
どんなに誰かに力を借りたくても、心の中のカルマは、あくまで自分自身で気づき、直さなければそれを克服することができないのです。
自分で気づいて自分で直していくからこそ、スピリットが磨かれるのであって、それを拒んでいる限りはいつまでも気づくチャンスを失ったままです。
気づくためのきっかけは、順風満帆な時よりも、むしろ困難な状況や苦悩という形でやってきた時です。
例えば、わが子を殺されてしまった人がいるとします。
そのような場合、殺した相手を恨むことはあっても、許すことはできないかもしれません。
また、罪を犯してしまった人も、後悔と罪の意識にさいなまれる。そして、双方の家族も苦しみを味わうことになるでしょう。
でも、どんなに苦しくても、そこにはスピリットが気づくべきことがあるはずです。
この世で理由がわからないために、苦しんで苦しんで、もがいてもがいて、どこかに救いを求める。
人情として、子どもを殺された家族は、相手を憎くて、許せなくて当たり前です。
それが簡単に許せるのなら、修行になりません。うわべだけの心になります。
苦しんで苦しんで、もがいてもがいて、自分で気づくしかない。
いつか、これも運命、カルマの道のりであった、と…。
それに気づいた時、人は自分のカルマを知り、心の安らぎを得ることができるのです。
スピリット(精神・魂)は、人間がこの世に誕生すると一緒に息づいて人体という形と共に前進します。決して離れることなく……。もし、離れるとすれば、死を迎える瞬間、肉体から離れるのです。
この世の出来事、出会う人も皆、すべてカルマゆえの道のり。
このカルマの法則を受け入れることが、気づきにつながります。
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