みなさんはすぐに自分の非を認めることはできるでしょうか?
私の経験則になりますが、自分の非を認められる人はそう多くはないように思います。
けれども、自分の非を素直に認めるからこそ魂は磨かれます。
欠点や不足に気づいて直せば、長所が活かされるようになって、そこで本当の幸せの道を進んでいくことができるのです。
「長所を伸ばそう」というのももちろん悪くはありませんが、欠点を放っておけばそこから悪いカルマが自分が気がつかないうちに育ってしまうのです。
自分の長所や才能に驕ることなく、日々自分を省みることで幸せの道を歩んでいくことができるのですが、そのためには何事も他人事とせず、「自分に関係があること」として捉える姿勢が大切です。
他人の痛みや悲しみも自分のこととして捉えられれば、たとえ趣味の悪い噂話を耳にしたとしても、「私には関係ないから」と軽々しく無視することはできないでしょう。
相談者の中にも、例えば嫁姑問題や親の介護問題など、人が困っている話を聞いても「私には関係ないこと」とそこから何も学ぼうとしない人がいます。
しかし、いつそのような問題が自分の身にふりかかるかもしれず、他人の体験を知識として得ておかなければ、いざという時にどうしていいかわからず混乱するだけで、ましてや自己責任として対処などできないでしょう。
明日はわが身、なんでも自分のこととして捉える、というと、不幸な事故や事件を見聞きすると怖くてとても自分のこととして捉えられない、という方もいるかもしれません。
例えば、「親が誤ってわが子を車でひいてしまった」という不幸な事故をニュースなどで知ることもあります。
子供を持つ親なら、誰もが少なからず衝撃を受けるでしょう。
しかし、そこで心が動く、ショックを受けるということは、そのニュースがまさに自分と関係しているからです。関係しているからこそ、心が動く。100%絶対に自分に起こり得ないことではないからです。
ですので事実は事実として直視し、「もし自分だったら……」と置き換えて考えてみる。
そうすれば、「どのような注意が足りなかったのか」「事故を防ぐために心がけておくべきことはなんなのか」といったことをシュミレーションすることができ、そうして知識として心の倉庫にしまっておけば、もしもという時その知識から得た注意力が危険を回避することになります。
そのように、あらゆる物事を自分と関連づけて考える習慣をつけると、理解力や判断力が養われて、相手がいわんとすることや問題の原因や対処法についても正しい理解、判断ができるようになります。
反対に、自分と関連づけられない人はすべて他人事になってしまい、そうすると逆説的ですが自分の欠点に気づかないばかりか、相手が何をいわんとしているかも理解できないことになります。
青森に相談に来られる方でも、神から透視という形で問題の原点を見せていただくので、いくらこちらが「詳しい説明はいりませんから」とお伝えしても、長々と自分のことを話し始める人がいます。
そこで私が不要な長話を制すると……
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