青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

「カルマ」と「霊障」は違う

 「カルマ」について特に誤解が多いものに、「霊障」というものがあります。私のところに相談にいらっしゃる方の中にも勘違いをされている方が多く、いわく、「カルマと霊障の違いがわからない」とおっしゃるのですが、そんな誤解を耳にするたびに、私は神の部下として、正しい知識をみなさんに伝えていきたいと思っています。

 

 ここでいう「霊障」とは、その文字が示すとおり、「霊の障り」のことですが、ご先祖の霊が障る、といった意味で使われることが多いように思います。

 

 また、障っている霊を祓う(=取り除く)ことを、神仏の世界では「除霊」といいます。ただ、この「霊障」というのは、むやみやたらと起こるものではなく、そこにはやはり、それなりの理由があります。

 

 たとえば、ご先祖の誰かが何かとても心残りがあるとか、恨みつらみを果たさぬままに亡くなられて、その心情を理解してほしい、あるいは、もっと単純に、子孫に何か伝えたいことがあるといったような場合で、それは、家族の誰かが体調を崩すといった形で起こるケースが多いようです。

 

 この「霊障」と「カルマ」を混同してしまうケースで多いのは、就職の内定が取り消される、子供が不登校になる、離婚など、突然、何かのアクシデントが起こったり、苦境に立たされたりしたような場合です。

 

 そういうことが起きたとき、「なぜ、こんなことが自分の身に降りかかったのか」ということに心当たりが見つからないと、それ以外に何の確証もないまま、「これは霊障に違いない」と思い込んでしまう方が多いようです。

 

 しかし、実はこういった出来事こそ「カルマ」によるもので、それに気がつかないがために、どんどん悪い状況に陥っていくことがあります。

 

 もしも「カルマ」によるものであれば、自分の間違いに気づいて直していけば、問題を解決していけるのですが、そのことに目を向けずに「霊障」を疑うということは、自らの過ちや非を認めたくない気持ちの表れでしょう。

 

 また、何かのアクシデントにあうたびに、すぐに先祖の「霊障」を疑うというのは、先祖に罪を着せるようなものです。あらぬ疑いをかけられたご先祖様は、さぞ嘆いていらっしゃるのではないでしょうか。

 

 何か悪いことが起こると、急に先祖供養に精を出す方がいらっしゃいますが、これも、自らの不幸を先祖のせいにしているようなものです。先祖を供養すること自体はとても大切なことですが、先祖の霊障だと思い込んで供養に力を注ぐのは、間違った先祖供養の仕方です。やがて自分が死に、先祖となったときに、子孫から霊障だといわれたら無念ではないでしょうか。

霊障」というのは、みなさんが思っているほど頻繁に起こるものではありません。このことを踏まえ、何か予想外のことが起こったときには、まず“これは「カルマ」によって自らが引き寄せたものなのではないか”という考えを持ち、現実をしっかり見つめて、「カルマ」の清算に励んでいただきたいと思います。

  

 

 

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