青森の神様 木村藤子の公式ブログ 日々の暮らしから得る気づき

透視人生30年以上のキャリアで培ってきた、誰しもが幸福になる生き方、考え方をお伝えします。

この世の奇跡

世間には、偶然とはいえないような出来事や、信じられない体験が話題にのぼることがあります。それを人は“奇跡”ですとか、“神仏のご加護”と呼んだりしますが、みなさんはいかが思われるでしょうか? 

 

 素直に「奇跡だ!」と受け入れる人もいれば、「いや、ただの偶然だ」と否定する方もいらっしゃいます。それぞれ考えや見解があるかと思いますが、これまでの私の経験から思うに、この世には“奇跡”は存在します。

 

 今回は、この“奇跡”や“神仏の加護”について、私が直接お聞きした話を紹介しながら、みなさんと考えていきたいと思います。

 

 まず最初にお話させていただきますのは、30代前半の男性、Yさんが九死に一生を得た不思議な体験です。

 

 数年前、Yさんが仕事帰りに最寄り駅から自宅までの道を歩いていたときのことです。急に膝が痛くなり、立ってもいられないような状態になってしまったそうです。過去に怪我をした経験もなく、日中にぶつけたりしたなど、特に思い当たる節はなかったそうなのですが、その痛みは酷く、ついには道のガードレールに寄りかかざるをえないほどになってしまいました。本当はすぐに帰宅して、持ち帰った仕事に取りかかりたかったそうですが、どうすることもできず、Yさんは道端に踞っていたそうです。

 

 しかし、30分もすると突然痛みが消え、いつもどおり歩けるようになりました。原因に見当がつかず、訝しがりながら歩いていると、今度は老人に道を訪ねられました。なんでも、その老人は孫の住む家に遊びにきていたのですが、散歩にでたところで道に迷ってしまったと言います。携帯も持っていないという老人を方っておくことはでずに、Yさんは一緒に老人の孫が住む家を探してあげましたが、無事送り届けたときには、最寄り駅を出てからすでに3時間近くが経過していたそうです。

 

 送り届けた先でお礼を言われるのもそこそこに、急ぎ足で自宅に向かうYさんなのですが、今度はなぜか、通い慣れた道を間違えてしまいます。本来、曲がるべき道を曲がらずに直進してしまい、だいぶ進んだところで、はたっと道を間違えたことに気づいたYさんは「今日はなんて日だ!」と、心の中で悪態をつきながら引き返したのですが、自宅のマンションが見えてきたときに、驚くべき光景を目にすることになります。

 

 曲がり忘れた道を曲がり自宅が見え始めると、Yさんは「これでやっと仕事ができる」とホッとしたと言います。しかし、そんな彼を突如、轟音と熱風が襲います。突然、Yさんの住む部屋の辺りが爆発を起こし、周囲にガラスの雨を降らしたのです。もちろん、火の手もみるみるあがっており、赤々と燃え盛った炎に照らされながら、Yさんは呆然とそれを眺めていたそうです。

 

 この爆発事故の原因はYさんの隣室からのガス漏れだったのですが、その被害は甚大でYさんの自宅も全焼。もし、予定通りに帰宅していれば、Yさんもただではすまない事態が起きていたことは明白でした。

 

 のちにYさんは「急に身に覚えのない膝の痛みに襲われたことや迷った老人に声をかけられたことも、そして、なぜか通い慣れた道を間違えてしまったことも、すべて偶然だったとは思えないのです。もし、あと10分早く帰宅していたら、私もここにいることはなかったはずです」と語ってくれました。

 

 普段、起きもしないような事態に翻弄されたかのように見えたYさんですが、それが結局、彼の命を助けることに繋がりました。まさに九死に一生を得た格好です。

 

 このような奇跡とも呼べることがなぜ起こったのか? 

 

 それは、Yさんの神仏が彼を助けたためだと私は考えています。不慮の事故で亡くなる方はたくさんいらっしゃいますが、なぜ彼が生かされたのかといいますと、彼にはまだ果たすべきお役目が残されていたためということにほかありません。

 

 もし、神仏のご加護なく、予定通りに帰宅していれば、Yさんの一生はそこで潰えてしまったことでしょう。しかし、彼にはこの世で果たすべきことが残されていた。つまり、成すべきお役目を果たさせんがために、神仏がYさんのことを救ったのです。

 

 日本の文学史上、最も高名な作家のひとりとして、芥川龍之介がいます。私も大好きな作家さんですが、みなさんは彼の代表作、『蜘蛛の糸』をご存知でしょうか?

 

 多くの方がどこかでお読みになられたり、お話で聞いたことがあるのではないかと思いますが、ここで簡単にあらすじをおってみましょう。

 

 ある日、お釈迦様が極楽浄土から地獄を眺めていますと、ひとりの見覚えある男に目が止まります。男の名はカンダタといい、ほかの罪人ともども地獄で苦しんでおりましたが、お釈迦様は彼が行ったひとつの出来事を覚えていました。

 

 カンダタは生前に盗みから殺人、ありとあらゆる悪事を犯して地獄に堕ちてしまったのですが、一度だけ善行を働いたことがありました。目の前を歩く一匹の蜘蛛を踏み殺そうとしたのですが、思いとどまって無益な殺傷をしなかったことがあるのです。

 

 この行いを覚えていたお釈迦様は、カンダタを地獄から救ってあげようと、一本の蜘蛛の糸を彼のもとに垂らしてあげます。もちろん、彼はその糸を登っていけば地獄から抜け出せると思い、糸を伝いはじめます。

 しかし、中頃まで登ってみたところで下を見下ろすと、他の多くの罪人たちが同じように蜘蛛の糸を登ってきています。細い糸が切れてしまうことを恐れたカンガタは、「これは俺のものだ! お前らは誰に断って登ってきた! 降りろ!」と叫びます。

 

 すると、どうでしょうか。先ほどまで切れるそぶりも見せていなかった糸が、突然、ぷつりっと切れてしまったのです。

 

 すべてを極楽から除いていたお釈迦様は、自分のことだけを考えるカンダタの心と、彼が地獄に堕ちていく姿を見て悲しみに顔を曇らせますが、またゆっくりとその場を立ち去っていきました。

 

 いかがでしょうか? みなさんはこのお話をどのように読み解かれますか? 

 

 いつ何時でも、この世に生きる私たち人間は、神仏からの視線を浴び続けています。善行、すなわち正しい行いをしていけば、必ず救いの手を差し伸べてくれるのが神仏のご加護というものです。いわゆる、“功徳を積む”ということですね。

 

 また、たとえカンダタのような極悪人だったとしても、己が行いを悔い改め、良い行いをしていくようにすれば、必ず救われるときがくるのです。

 

 人がなにかしらの罪を犯してしまう。それは、自分の生れ背負ってきたカルマに押しつぶされ、負けてしまったためだといえます。

 

 カルマの解消はそう簡単なことではなく、茨の道ともいえるものですが、ひとつひとつ地道に重ねた徳が、やがて私たちのもとにひとつひとつの幸せとなって訪れてきます。その中には冒頭のYさんのような“奇跡”として、あなたの危機を救ってくれることにもなるかもしれません。

 

 ですから、私たち人間は、日々の生活にも姿勢を正して生きていかなければならないのです。

 

 

 

 

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